琳派 風神雷神図屏風
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*基本情報*
○琳派とは
・同傾向の表現方法で描いた絵師の流派
・デザイン的で大胆な構図が特徴
○風神雷神とは
・千手観音の眷属(けんぞく・お供の者)
・雨風や五穀豊穣の神
・抱一は光琳を尊敬。
風神・雷神は、仏教、千手観音の眷属である神々です。もとは古代インドの神でしたが、後から仏教に取り入れられました。
(写真)千体千手観音の守護神二十八部衆と共に安置されている風神・雷神像
琳派の創始者と言われる、俵屋宗達がこの風神雷神を題材に描いたことから、この一連の流れが生まれます。
風神雷神図屏風 伝俵屋宗達筆 国宝 154.5×169.8cm×2 1624-1645年? 建仁寺
こちらの風神雷神図屏風、落款や印章はありませんが、宗達の真筆であることは確実視されています。
風神と雷神が画面の両端にはみ出すように置かれた構図が特徴です。中央の、三角にポッカリと穴が空いたような構図は、扇を元にしていると言われています。
宗達の作品は、動物を描いた作品が多く残されていますが、風神雷神は仏画にあたります。なぜ宗達は風神雷神を描いたのでしょうか?
松崎天神縁起絵巻 作者不詳 重要文化財 1311年頃 山口県防府天満宮蔵
宗達のこの風神雷神は、宗達より約300年前に描かれた松崎天神絵巻を参考にして描かれたとされています。
やまと絵の伝統を受け継ぎながら新しく展開したことでも知られる宗達ですが、絵巻物から引用して描いていたとは驚きです。
重要文化財 166.0×183.0cm 1710年? 東京国立博物館蔵
光琳は、宗達の風神雷神図屏風、特に輪郭線を驚くほど細密に模写しました。
反対に、構図は光琳の個性が出ており、風神・雷神を、綺麗に画面に入るよう、配置しました。
宗達は画面の外に広がる空間を意識したのに対し、光琳は枠のなかで綺麗に収まるよう意識したのです。
また、宗達の風神雷神のほうが柔らかい目をしている、雲が黒い、など、他にも少しずつ違いがあるようです。
170.7×170.2㎝×2 1821年 出光美術館蔵
光琳の風神雷神図屏風と対面したのは、抱一が60代の頃。徳川家斉(いえなり)の父治済(はるさだ)の依頼で、それは「光琳の風神雷神図屏風の裏に絵を描く」というものでした。
酒井抱一 夏秋草図屏風 重要文化財 164.5×181.8×2 1821年 東京国立博物館蔵
光琳の風神雷神図屏風に感銘を受けた抱一は、風神の吹く風になびく秋草と、雷神の降らせる雨に打たれる夏草を描きました。
金箔の地に対応した銀箔の背景や、風神雷神図屏風とは逆向きの、逆三角形の構図。色遣いも、風神・雷神の服装や肌色にそれぞれ対応しており、表の光琳の作品を受けた作品であるということが伺えます。
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それでは、また明日
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投稿 2020.03.02
更新
参考
俵屋宗達( https://funart.hatenablog.com/entry/2020/02/27/172806 )
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kinsei/item10.html
http://sanjusangendo.jp/b_2.html
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/風神雷神図
東京国立博物館 夏秋草図屏風
https://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl&colid=A11189.2