狩野永徳 狩野派のスーパースター
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https://keywart.net/kano-eitoku/
*概要*
生没年 1543-1590年
時 代 室町時代
居住地 京都
分 類 狩野派
特 徴 優れた細密描写、大スケールの作品
代表作 唐獅子図屏風、聚光院障壁画
洛中洛外図屏風 など
狩野永徳は、室町時代の狩野派の中心人物で、日本美術史上もっとも著名な画人の1人です。
永徳は、若くからリーダーの座に付き、織田信長や豊臣秀吉など、権力者に重用されます。
制作した作品は当時最重要の建築物であった大阪城や安土城、聚楽第などの障壁画が多く、大スケールの作品が多数残っています。
永徳は満47歳で死去。死因は、過労死ともいわれています。
永徳がどれだけ忙しかったか、作品からも、エピソードからも伺えますね。
(写真)花鳥図 狩野永徳 1566年 大徳寺聚光院
大徳寺にある聚光院の襖絵。永徳と、父松栄が2人で手掛けた作品として知られています。
聚光院の襖絵、全46面は、すべて国宝となっています。
永徳の恐ろしいのが、この襖絵、なんと24歳で描いたということ。
松栄が早くしてトップの座を渡した理由が、少しわかるような気がしますね。
(写真)洛中洛外図屏風 狩野永徳 1574年 上杉博物館
この作品によって、永徳が繊細な表現に優れた才能があることが世に知られました。
描かれている人は約2500人。緻密で繊細、見るに飽きない作品です。
洛中洛外図屏風については、以前詳しくご紹介したので、そちらのページをご覧ください。
(写真)唐獅子図屏風 狩野永徳 1582年 224.2×453.3cm 宮内庁三の丸尚蔵館
獅子とは、ライオンのことですが、日本でライオンが飼育されたのは1902年。
日本の西欧化の流れでやってきました。
しかし、永徳がこの獅子を描いたのは1582年。
永徳はライオンを見ることなく、この絵を描いた、ということになります。
参考にしたのは「ネコ」
そう言われれば、なんだか目もとが似ているような…?
いかがだったでしょうか
内容の認識違い等ありましたら、ぜひコメント等で教えてください
それでは、また明日
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投稿 2020.04.12
更新
参考