つれづれ美術手帖

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川端龍子(川端龍子)

こんばんは、

今日は川端龍子(かわばたりゅうし)についてはお話しします。


実は、筆者が住んでいる広島では、5月31日まで広島県立美術館で展示される予定でしたが、今回の新型コロナウイルスの関係で当面休館。

楽しみにしていたのですが、5月になってからも行けるかどうかわからないですし、難しいかなと思っています。

ここで自分への慰めを込めて、まとめてみました…笑

 


*概要*
生没年 1885-1966年
時 代 近代
居住地 東京
特 徴 規格外に大きい作品を制作する
代表作 爆弾散華
内 容 「会場芸術」を主張した人物
     目標は大衆の心をつかむこと

 

 

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(写真)炎庭想雪図 川端龍子 1935年 
南国に生えるバナナの木に雪が積もっています。
現実ではありえないようなものの組み合わせですが、龍子曰く
「南国に雪が降っている様子を見て、涼むために描いた」
たしかに、そう言われれば納得ですね。
龍子は大衆の心に寄り添い、つかむような絵を描くことを生涯目標とした画家でした。


龍子はもともと西洋画を描いていましたが、アメリカへの留学で西洋画の限界を感じ、ボストン美術館に展示されていた絵巻物を見て日本画に転向しました。

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(写真)平治物語絵巻(一部) 13世紀 ボストン美術館
こちらが、龍子が日本画へと転向するきっかけとなった絵画と言われています。
ボストン美術館には、当時の日本では重要視されていなかった、奇抜で異端な日本の絵画がたくさんありました。
日本では見る機会もなかったそれらの作品に触れ、龍子はこれからの日本画の将来性を見たのかもしれません。

 

 

*規格外に大きい作品を制作*

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(写真)爆弾散華 川端龍子 1945年 259.0×194.0
こちらの作品は爆弾の風圧によってなびく野菜や草花を描いたもの。
描かれたのは終戦の年の1945年。戦時下の日本の空爆被害を想い、描いた絵だと言われています。

 

この当時、2.5メートルもあるような大きさの絵画はありませんでした。
それに付け加え、特にこちらの作品に関しては、モチーフ(題材)は草花です。
普通、現代でも草花をこのような大画面には描きませんよね。
しかし、大画面で描くことで、爆風になびく野菜や草花が強調されているようにも見えます。

龍子が大きな作品にこだわって制作するのには訳がありました。
龍子は「会場芸術」をうたった人物としても知られています。
会場芸術とは、展覧会で作品を見てもらうことを前提とした絵画作品ということ。
龍子が生きた時代の絵画は、普通床の間や部屋の中飾って鑑賞するものでしたが、これからの時代は、大きな会場を借りて、たくさんの作品を集めて鑑賞する時代が来る、と龍子は予想しました。
そのため、展覧会場で飾ることを想定した大きな絵を描いたのです。


ちなみに、龍子は驚くほど大きい作品を制作していますが、作品の全体像をほとんど見ることなく制作するとか。
全体の確認は、完成直前、調整のために少し下がって見る程度だそうです。
龍子は全体を見なくても、頭の中で完成像が見えている人だったのかもしれません。

 

 

いかがだったでしょうか

内容の認識違い等ありましたら、ぜひコメント等で教えてください

 

それでは、また明日

 

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投稿 2020.04.18

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