岩佐又兵衛
こんばんは、今日は岩佐又兵衛について、お話しします。
*概要*
生没年 1578-1650年
時 代 江戸時代
居住地 京都→福井→江戸
分 類 やまと絵
特 徴 劇的なタッチ たくましい人間の表現
代表作 山中常盤物語絵巻
題 材 物語・風俗 古典的な題材が多い
その他 波乱万丈の人生・奇想の絵師と呼ばれる
(写真)洛中洛外図屏風(舟木本) 岩佐又兵衛(伝) 1614-1615年 東京国立博物館 国宝
洛中洛外図屏風は多くの人物によって描かれていますが,こちらは滋賀の舟木家に伝来したものなので舟木本とも呼ばれています。
弟子が描いたとの説がありますが,本人説が有力。又兵衛が京都にいる頃の作品です。
もともと,織田信長の家臣だったのですが,岩佐又兵衛が誕生した翌年(1579年)に反逆を企て、失敗してしまいます。
落城の際,又兵衛は乳母に助けられ,石山本願寺に保護されました。ちなみに,「岩佐」は母方の旧姓のようです。
信長の息子・織田信雄に仕え,御伽衆(おとぎしゅう)という,側近として話し相手になる役職をしていたのではないかと言われています。
信雄の改易(身分剥奪)後、浪人となった又兵衛は、京都で絵師として活動を始めたと言われています。
その後,福井県に移住したり,江戸へ移住したりと転々としました。
*特徴*
絵の師匠は狩野内膳という説がありますが、よくわかっていません。
又兵衛本人はやまと絵師ですが,
やまと絵の流れの狩野派、土佐派の流派だけでなく,漢画の流れの牧谿や梁楷風の水墨画も吸収し,独自の様式を作り上げました。
*たくましい人間の表現*
又兵衛の特徴は人物の表現にもっとも現れます。
たくましい肉体で,バランスを失うほど極端な動きをしています。
顔はふっくらした頬と長い顎で、やまと絵では高貴な身分の人物の表現として古来からありましたが、又兵衛はこれを誇張し、独自のスタイルとして描いています。
(写真)山中常盤物語絵巻 岩佐又兵衛 江戸時代 MOA美術館
又兵衛の生き生きとした力強い作風が見て取れる作品。
自然や風俗を取り入れながらも,戦争や惨劇の場面もありのままに描いています。
あまりにも「ありのまま」すぎて,グロテスクなシーンまであります。
まさに「奇想の絵師」と呼ばれるだけある,独特の画風です。
いかがだったでしょうか
内容の認識違い等ありましたら、ぜひコメント等で教えてください
それでは、また明日
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投稿 2020.05.20
更新
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