つれづれ美術手帖

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京狩野と狩野山楽

こんばんは、今日は京狩野と狩野山楽について、お話しします。


*概要*
意 味 狩野山楽以降 京都で活躍した狩野派
時 代 江戸時代
居住地 京都
分 類 狩野派・京狩野・漢画
特 徴 永徳様式(雄大な構図) 装飾性豊か
    肩身の狭い境遇が伺える作風
始 祖 狩野山楽
その他 本朝画史を作成した一派でもある



室町時代に京都から始まり、江戸時代では活躍の場が江戸へ移った狩野派ですが、
その中でも江戸時代、あえて京都に残って活動を続けた一派のことを京狩野と呼びます。
京狩野は、時代の流れに逆らった流派でもあったことから、次第に低迷し、明治期には急激に衰退していきました。

作風は、永徳様式を最も受け継いでゆったりとした構図と優れた細密描写をもち、また永徳より装飾性豊かなものが多くあります。
しかしその反面、山楽の当時の肩身の狭い境遇が伺えるような硬さや雰囲気もどこか感じてしまうのです。


狩野山楽

*概要*
生没年 1559-1635年
時 代 江戸前
居住地 江戸
分 類 狩野派・京狩野
特 徴 装飾的な画面 繊細な表現
代表作 大覚寺障壁画 など


山楽は江戸時代初期の絵師で永徳の弟子。京狩野の確立者です。
山楽は狩野派の絵師の中で最も秀吉の寵愛を受けてきたため、江戸へ行かずに京都で活躍しました。
あえて京都に残り豊臣側に付いたことで、弟子の山雪とともに嫌疑をかけられるなどの苦難で激しい人生を歩むことになってしまいました。


(写真)大覚寺障壁画「牡丹図」 狩野山楽 大覚寺 重要文化財
全部で18面ある大スケールの作品を大胆に使った作品。
永徳様式を最もよく受け継いだと言われていますが、山楽はきっちりと画面に収めて少し硬い印象を受けます。

岩の間から顔を出す牡丹の花が、金地により大きく浮かび上がるように描かれています。
花や葉の表現は素晴らしく、山楽の繊細さがみて取れる作品でもあります。




いかがだったでしょうか
内容の認識違い等ありましたら、ぜひコメント等で教えてください

それでは、また明日

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投稿 2020.06.17
更新 
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