つれづれ美術手帖

アート関連のアウトプットブログです。

文人

こんばんは。

文人
中国の絵画を紹介するとき、ほぼ毎回出てくる言葉ですが
いったい、どのような人だったのでしょうか?
自分にも曖昧な部分があったので、
今回はもう一度、文人についておさらいしてみようと思います。



*概要*
意 味 学問・詩や書画に優れた人物
時 代 中国周代(BC1000~)から
地 域 中国
分 類 漢画・文人




(写真)四季山水図屏風(名古屋別院本)右隻 伝周文 真宗大谷派名古屋別院
こちらの作品では、ロバに乗って旅をする文人が描かれています。
どうやら、文人はロバに乗って旅をするものだったそう。

文人」という単語が誕生したのは紀元前1000年以上前から。
最初は「学問に秀で 徳のある人物」
ここで言う学問とは、儒教の教えを学ぶこと。
儒教では学を積むと徳も磨かれるとされていたため、学問と徳は切り離せない存在であり、文人は学を学び、徳を積んだ人物として存在しました。
この時代では文人と言えば貴族であり官僚で、仕事をしっかり全うする人というイメージがあったようです。


しかし,時代が進むにつれ、「文人」の定義は少し変わっていきます。

唐代では「学問をよく学び(官僚である)詩や書画をよくする人物」が文人と考えられるようになりました。
「学問をよく学ぶ」とは、どのくらいよく学ぶのかというと、、
科挙という、当時の中国の最高ランクの(漢文の能力が問われる)試験に合格して官僚になれるくらい。
その場で絵が描けるというのは、海外の人ともコミュニケーションが取れることを意味し、外交官としての役割を持っていたと言われます。

元代以降では、風流や余技と言った意味が強くなり、学問をよく学ぶという意味合いが薄れていったようです。


(写真)高士探梅図(こうしたんばいず) 伝馬遠 名古屋県立美術館
高士とは、世間から離れて住んでいる立派な人物のこと
竹や梅は、文人のイメージとしてよく描かれる題材だそうです。
現像の月だけでなく湖にも月が映り、海の壮大さや無常観を感じます。


日本における「文人

*概要*
意 味 高度な知識・詩や書画に優れた人物
    政治権力とは無縁の存在
時 代 室町時代頃から
地 域 日本
分 類 漢画・文人

日本で文人という言葉が世に知られるようになったのは室町時代ごろから。
外交や宋元画の影響により、中国から伝わってきました。
実際に「文人」が日本で現れたのは江戸時代頃からといわれ、与謝野蕪村などがその先駆け的人物です。
与謝野蕪村については、以前ご紹介していますので,よかったらそちらもご覧くださいね。
(与謝蕪村 https://funart.hatenablog.com/entry/2020/06/05/180850 )



いかがだったでしょうか
内容の認識違い等ありましたら、ぜひコメント等で教えてください

それでは、また明日

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投稿 2020.06.19
更新 
参考 
伝周文筆 四季山水図屏風(東京国立博物館蔵)について
http://harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/hiroshima-cu/file/11473/20130212083926/art17-62.pdf

名古屋県立美術館 所蔵作品検索 高士探梅図
http://jmapps.ne.jp/okayamakenbi/det.html?data_id=1853


訪隠について
https://funart.hatenablog.com/entry/2020/06/06/164856

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