つれづれ美術手帖

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いわさきちひろ

こんばんは。今回はいわさきちひろについてお話しします。


*基本情報*
生 誕  1918-1974年
時 代  現代
居住地  福井→東京
分 類  水彩画家
特 徴  淡いタッチで描く子供

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いわさきちひろは、淡いタッチで描く子供が有名な絵本作家です。
彼女の作家活動のテーマは「子どもの幸せと平和」
ちひろにとって21歳の青年期真っただ中に起こった第二次世界大戦は彼女の人生に大きく影響を与えたようです。

ちひろは、恵まれた家の三姉妹の長女として育ちました。
当時としては珍しいラジオや蓄音機、オルガン、カメラなどの機器も所持していたそう。
幼いころから絵を描くのが得意で、幼少期に影響を受けたのは「コドモノクニ」という雑誌。
当時有名だった岡本帰一などの絵に強く心を惹かれました。
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14歳の時、絵の才能を認められ、岡田三郎助のもとで油絵を学び,後で触れる政治との関係から画家としての道を歩み始めました。

結婚とこども

ちひろは人生で2度結婚をしました。
一度目の結婚は1939年、ちひろが20歳のとき
3姉妹の長女のためか両親の薦めを断り切れず、婿養子を迎えました。
お相手は彼女に好意を持つも、ちひろはどうしても好きになれず、形だけの結婚だったそうです。
ちょうどその頃第二次世界大戦が起きたため、夫と満州に渡るも、1年後には夫の自殺により帰国することに。
このような経験から、ちひろは二度と結婚するまいと心に決めます。

二度目は1950年、ちひろが32歳の時、共産党支部会議で演説していた8歳年下の青年松本善明と結婚式を挙げました。

翌年、男の子を出産しましたが、狭い借間で子どもの世話をしつつ画家としての仕事を続けることが難しかったため、やむを得ず両親のもとに預けることになりました。
ちひろは猛に会いたさに、片道10時間近くかけて長野の両親のもとに通ったそう。
その後2年ほど経ってから、ようやく家族揃って生活をすることができるようになりました。
そのような苦い経験が、ちひろの作風に影響を与えたのかもしれません。

政治と画家活動

ちひろは1946年、日本共産党の演説に深く感銘し入党しました。
そこから、党の関係する芸術学校に入り、新聞記者として働きながら、丸木俊に師事して本格的に画家としての活動を始めました。

ちひろは水彩画家として有名ですが、46歳頃までは主に油絵を描いてきた人物でした。
最初に手掛けていたのは広告ポスターや雑誌、教科書の表紙絵など。

師匠・丸木俊の作風は洋画家らしい濃い色彩で写実的よりの絵だったため、師匠の影響を受けたような作風を描きました。
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師匠・丸木俊の作品
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(写真)ハマヒルガオと少女 いわさきちひろ 1950年代中頃

そこからちひろが独自の画風を模索するようになったのは1964年。
ちひろの作風は師の作風よりもかわいらしく
「かわいらしすぎる」「リアルな子どもの姿を描くべき」などの批判があり、
ちひろ自身もそのことに悩んでいたそう。
師の丸木俊が党から除名されたことなどをきっかけとし、ちひろは自分の感性に素直になり、独自の画風を追う決意をしました。
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いわさきちひろ展 画集
独自の画風となった彼女の絵からは、にじむような淡い色彩で、子供のはかなさや柔らかさなどが伝わってくるようです。



いかがだったでしょうか
内容の認識違い等ありましたら、ぜひコメント等で教えてください


それでは、また来週

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投稿 2020.11.20
更新 
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