つれづれ美術手帖

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狩野探幽

狩野探幽(たんゆう)*
生没年  1602-1674年
時 代  江戸時代初期
出 身  山城国(京都府南部)
居住地  京都→江戸
分 類  狩野派
代表作  二条城障壁画
特 徴  木を幹から描き始める
画 題  山水、人物、花鳥など
 父   狩野孝信
その他  早熟の天才絵師


*早熟の天才絵師*
探幽は幼いころから画才を発揮し、1617年、探幽16歳の時に江戸幕府の御用絵師となり、画壇の頂点に立って多くの障壁画を手がけました。
なかでも二条城障壁画は探幽の代表作とも言われています。
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(写真)二条城二の丸御殿 大広間 狩野探幽 1626年 重要文化財
二条城は、京都での徳川家の権威を表す建築物として、徳川家康が1603年に建て、家光が1626年に増築し現在の様相となりました。
大広間は最も格式高い部屋で、大政奉還が行われた場所でもあります。当然、当時のトップである探幽が担当しました。
松は長寿と繁栄を表すモチーフで、徳川の絶対的でゆるがない権威を表現した作品。
上座に座る将軍がより遠くに感じるよう、上座に向かって枝を伸ばす遠近法がとられています。
狩野永徳の豪華絢爛な画風を受け継ぎ、豪華で壮大に松の木が描かれています。
地面や根を描かず幹から描き始める手法は探幽以降の絵師の特徴です。


探幽は1626年に江戸に本拠を移し、江戸幕府の御用絵師として、画壇における狩野派の地位をますます不動のものとしました。
豪華絢爛な画風で描いていますが、この後、水墨の濃淡でやわらかい表現もするようになりました。

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(写真)大徳寺方丈 狩野探幽 1641年
84面もある襖絵。
水墨を主体として濃淡で遠近感を表現しています。
余白をたっぷりと使い、穏やかで空間の広がりを感じます。

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(写真)大徳寺法堂雲竜図「鳴き竜」 狩野探幽 
大徳寺法堂の天井に描かれている作品。
鋭い目つきでこちらを見ている姿にはすごみがあります。
手をたたくと敷き瓦が共鳴して音が反響し、龍が鳴いたように聞こえることから「鳴き竜」と言われているそう。



*模写好き*
探幽は写生(スケッチ)や古画の模写を重視し、写生図集や模写画集を多数残しています。
探幽の古画模写は多数現存しており、そのなかには現在失われた作品もあるため、日本絵画史研究上、貴重な資料となっています。
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(写真)探幽縮図 狩野探幽 1662年 奈良国立博物館


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投稿 2021.03.04
更新 
参考 

狩野派と制作体制
https://funart.hatenablog.com/entry/2020/03/17/170048

探幽縮図 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/215953/8

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