イサム・ノグチ
こんばんは。今日はイサム・ノグチについて、お話しします。
*概要*
生没年 1904-1988年
時 代 現代
居住地 アメリカ
分 類 彫刻家
代表作 ブラック・スライド・マントラなど
その他 激動の人生 勲三等瑞宝章・アメリカ国民芸術勲章を受勲
イサム・ノグチはアメリカ合衆国ロサンゼルス生まれの彫刻家です。
日系アメリカ人で、日本人で詩人の父、作家の母のもとに生まれました。
ただし婚姻関係はなく、シングルマザーでした。
*激動の人生*
・人種差別の激しいなか日本へ渡航
・第二次世界大戦ではスパイ扱い&強制収容
・終戦後来日するもアメリカ人という理由でデザインが選外になる
など・・
激動の人生だったようです。
*母の影響が強い*
ノグチは母親の影響でアーティストになったと言っても過言ではないほど、母親の教育に影響された人物です。
1913年(9歳)母に個人教授を受け、茅ヶ崎の自宅の新築設計を手伝う
母の勧めで指物師へ見習い修行
※指物師(さしものし)とは・・・
タンスや机等板を合せて作る木工職人
1918年(14歳)母の意思により、単身でアメリカへ
1924年(20歳)一度はアーティストの道を諦め、医学へ進んだものの、母の勧めで美術学校へ
・・・
このような具合に、ノグチは常に母に支えられながらアーティストの道を歩んでいきました。
ちなみに、2010年にはノグチの母を題材とした映画「レオニー」が公開されています。
*作品*
(写真)平和大橋・西平和大橋(1952年)
1950年に再来日した際に手がけた作品。
戦災復興都市計画とともに計画された、平和公園の東西両端に位置する橋(平和大橋・西平和大橋)のデザインです。
平和大橋は太陽を、西平和大橋には船の竜骨をイメージして作られました。
なぜ船の竜骨?とも思いますが、「黄泉の国へ船出する」という死の象徴だそうです。
(写真)ブラック・スライド・マントラ イサム・ノグチ 1992年 北海道
札幌市の大通公園にある、奇妙によじれた渦巻き状のすべり台です。
飽きのこない不思議な形状が子供から大人まで多くの人々を惹きつけています。
黒く光沢のあるこの作品は、雪の積もる札幌の景色に映え、不思議な感覚を呼び起こします。
もともと、この場所には道路があったそうですが、大通公園の全体感を見たノグチが「ここに設置したい」と提案し、札幌市の協力で道路を公園へと変えました。
ノグチ曰く「子供が滑って完成する」という作品とのこと。
子供たちが何度もその滑り台ですべり、お尻になじむようになったときが「完成」ということらしいです。
(写真)モエレ沼公園 イサム・ノグチ 1988-2005年 北海道札幌市 グッドデザイン大賞
モエレ沼公園は、札幌市を公園や緑地の帯で包み込む「環状グリーンベルト構想」の一環として計画された総合公園です。
「全体をひとつの彫刻作品とする」というコンセプトのもと、計画が進められていきました。
しかし、ノグチはその完成を見ることなく、心不全によりその生涯を閉じました。
いかがだったでしょうか
内容の認識違い等ありましたら、ぜひコメント等で教えてください
それでは、また明日
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投稿 2020.05.25
更新
参考 ようこそ札幌 モエレ沼公園
https://www.sapporo.travel/find/nature-and-parks/moerenuma_park/
arch-hiroshima