つれづれ美術手帖

アート関連のアウトプットブログです。

自画像 有名なものから少し変わったものまでご紹介!

自画像は、自分自身を描くことから、自己の感情や考え方など、画家自身の内面を表現する良い画題です。
特に、写真技術の発展により「見たものを写す」という大きなニーズが無くなった近代以降、多くの画家が好んで自画像を描きました。
歴史に残る画家たちは、何を思って自画像を描いたのでしょうか?
今回は、そんな画家たちが描いた自画像を、有名な作品から少し変わった作品まで、多数ご紹介します。

レンブラント・ファン・レイン(1606−1669年 オランダ)

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(写真)自画像 レンブラント 1640年
レンブラント34歳、絶頂期の作品。
この作品を描いた2年後に「夜警」が完成します。

レンブラントは「夜警」で知られる、17世紀のオランダ絵画黄金期最大の巨匠です。
彼は生涯において、スケッチを含めおよそ100枚もの自画像を描きました。
彼が大量の自画像を描いた理由は、絵(肖像画)の研究のため、モデルを雇うとお金がかかるからと言われています。
レンブラントの特徴は光の劇的な描写。光と影を巧みに使うことで、モデルの生き様や内面までも表現しようとしました。
そんなレンブラントの自画像では、彼が自画像を描いた時期の心境や考えが構図や表情、光のあて方などによって垣間見ることができます。
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(写真)自画像 レンブラント 1669年
レンブラント最晩年の作品
晩年のレンブラントは、没落し大切な人を失い続けて孤独な生活を送ったと言われています。
この自画像では、こだわりすぎて世間から見放されたほどの、彼の卓越した技術が余すこと無く表現されています。
(参考ページ)
http://omochi-art.com/wp/self-portraits-by-rembrandt/
アートをめぐるおもち「100枚も自画像を描いた?レンブラントの自画像を紹介します!」
レンブラントの自画像を年齢別に一覧にしているサイトです
https://artmuseum.jpn.org/rembrndtjigazou.html
西洋絵画美術館「レンブラントと自画像」
レンブラント年代ごとにその時起こったエピソードとともにざっくりピックアップしているサイト

ギュスターヴ・クールベ(1819-1877年 フランス)

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(写真)絶望する男(自画像) ギュスターヴ・クールベ 1843年頃
クールベ24歳頃の作品。

クールベは現実に見たものだけを描く、写実主義の画家。
当時は描かれることがなかった貧しい農民や労働者、普通の女性のヌードなどを積極的に描き、ロマン主義や古典主義とは対立した、当時前衛的な画家でした。
クールベ初期の作品には自画像が多くあります。
彼の自画像では、写実主義の画法を確立する前の、なめらかな線とダイナミックな形のロマン主義の画法の作品を見ることができます。
のちに、自然とかけ離れた大げさなこの画法に疑問を持ち、対立した画法を確立していくことになりますが、この作品からも、型にはまっていない前衛的なポーズから彼の野心的な考えが垣間見ることができます。
クールベは自分のことを「フランスで最もうぬぼれて、傲慢な人間だ」と言っていたそう。
タイトルの「絶望」と、どのような関係があるのでしょうか?
(参考)
https://www.musey.net/12829
MUSEI 絶望(自画像) 画家 : ギュスターヴ・クールベ

ポール・ゴーギャン(1848-1903年 フランス)

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(写真)光輪のある自画像(戯画的自画像) ポール・ゴーギャン 1889年

ポール・ゴーギャンはフランスのポスト印象派の画家。
ゴーギャンはポスト印象派の中でも特に、見たものを感覚的に捉える印象派を否定したことで知られており、目に見えない内面や思想・神秘的な世界を表現しようとしました。
この自画像では、光輪やりんご、蛇といった、キリスト教のモチーフが描かれており、宗教的な要素に影響を受けていたことがわかります。

エドヴァルド・ムンク(1863-1944年 ノルウェー

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(写真)地獄の自画像 エドヴァルド・ムンク 1903年 ムンク美術館

ムンク表現主義の代表的な画家の一人。
病気で家族を早くに亡くし、暗い幼少期を送りました。
ムンクは自身の私生活の苦難や不安を自画像として多く描きました。
この作品では、黒・赤を基調とした暗く不気味な背景と裏腹に、全く防御されていない丸裸のムンクが、まるで自信満々かのように立っています。
首から上は赤く背景に溶け込み、怒っているようにも見えます。

また、ムンクの代表作「叫び」は、絵のモデルは自分自身でないものの、自分の内面を表現しているという意味で自画像とも言えます。
(ちなみに、絵のモデルはパリ国際万博で展示されたペルーのミイラと言われています)

エゴン・シーレ(1890-1918年 オーストリア

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(写真)むき出しの肩を高くあげた自画像 エゴン・シーレ 1912年 42.2×33.9cm レオポルド美術館

エゴン・シーレ表現主義を代表する画家。
28歳という短い人生の中で驚くほど多くの作品を描きました。
彼の自画像は、自らの悲劇的で壮絶な人生を物語るような、精神的でセクシュアリティ表現が特徴です。
歪んだ顔は恐怖に怯えているような表情を誇張し、肩は窮屈に上に押し上げられているように見えます。
シーレは、この作品で筆と指先を使って描いた後、顔を筆の先端で傷つけたと言われています。

サルヴァドール・ダリ(1904-1989年 スペイン)

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(写真)焼いたベーコンのある自画像 サルヴァドール・ダリ 1941年 61×51cm ガラ=サルバドール・ダリ財団所蔵

サルヴァドール・ダリシュルレアリスムの代表的な画家。
ダリは自身の精神的苦痛やトラウマを、ダリの身近にあるモチーフを使って表現しました。
中でも特に溶けたチーズや時計、顔を好んで描きました。
この自画像では、仮面のような薄い自分の顔がチーズのように溶けようとしていて、目や顔の裏などに松葉杖を置くことでかろうじてそこに留まっている儚い様子が描かれています。

フリーダ・カーロ(1907-1954年 メキシコ)

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(写真)死を考える フリーダ・カーロ 1943年 個人蔵

フリーダ・カーロはメキシコの現代絵画を代表する画家。
18歳の時、交通事故で重傷を負ったことをきっかけとして絵を描き始めます。
彼女は死や愛といったテーマで自画像を数多く描き、また自画像に大きな葉・動物・ドクロなどといったモチーフを好んで描きました。
フリーダ曰く「私はほとんどの時間を一人で過ごすし、自分のことは自分がいちばん知っているから、自分を描くのです」
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(写真)ひげネックレスとハチドリのセフルポートレイト フリーダ・カーロ 1940年
好んで描かれる猿はフリーダが飼っていた動物だったそう。

ルドルフ ハウズナー(1914-1995年 オーストリア

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(写真)自画像 ルドルフ ハウズナー 1955年 60×52cm

ハウズナーは幻想的な絵画を描くウィーン幻想派の画家。
細密な描写と豊かな色彩表現を駆使しながら、現実と非現実の組み合わせや、神話や名画から得たイメージ、遠近法などの技術を逆手に取った画法で不思議なイメージを作り出しています。
この自画像では、折り紙で作られた帽子が頭の上に描かれていますが、影もなく被っているようには見えません。
画面上でも最も目を引くといっても良い首は、普通よりも長く描かれ、ひねり、しなやかな曲線を作り出しています。
挑戦的な瞳は何を訴えているのでしょうか?

フランシス・ベーコン(1909-1992年 イギリス)

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(写真)自画像 フランシス・ベーコン
フランシス・ベーコンは、抽象絵画が中心だった第二次世界大戦後の美術界で具象絵画を描き続けた画家です。
フランシス・ベーコンの絵画から感じられるテーマは時間や動き、連続性など。
ベーコンは自画像で、1人の人間の時間による変化を画面上で描こうとしたと言われています。
連続的に描かれた立体的な顔は、歪みやデフォルメが目立ち、不安や恐怖などといった印象を受けます。
(参考)
https://www.artpedia.asia/francis-bacon/
artpedia【美術解説】フランシス・ベーコン「20世紀後半において最も重要な人物画家」

葛飾北斎(1760-1849年 日本)

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(写真)自画像 葛飾北斎 1840年
葛飾北斎は江戸時代後期を代表する浮世絵師です。
この自画像は北斎最晩年、80歳以降に描かれました。当時彼の雅号は「画狂老人卍」。
まさに、狂ったような自画像です。
この時代の日本では、肖像画は描いても画家が自画像を描くことはあまりありませんでした。北斎は何を思って自画像を描いたのでしょうか?
(サイト内リンク)https://funart.hatenablog.com/entry/2020/06/23/175416
つれづれ美術手帖 葛飾北斎

草間彌生(1929- 日本)

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(写真)自画像(Self-Portrait) 草間彌生 2010年
草間彌生は現代の日本を代表するアーティストの一人。
自身が体験している幻覚や幻聴を描くことで知られています。
(参考)
http://yayoi-kusama.jp/
草間彌生公式HP



いかがだったでしょうか。
その他、日本の表現主義の画家は自画像を好んで描いています。
詳しく知りたい方はこちらの記事をご覧ください
(サイト内リンク)
https://funart.hatenablog.com/entry/2020/05/10/173047
つれづれ美術手帖 表現主義と自画像


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投稿 2021.07.08
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西洋美術史をざっくり解説 ギリシャ・ローマ美術からシュルレアリスムまで

<サイト移転のお知らせ>
いつもご覧頂き、誠に有り難うございます
この度、本ブログを新しいサイトへ移転することになりました。当面はこのままにしておく予定ですが、移転作業完了後は削除予定ですので、引き続きご覧になりたい方は新しいサイトの方へブックマーク等をよろしくお願いします。

移転先の記事はこちら
【keywart】西洋美術史をわかりやすく解説


今回は、ギリシャ・ローマ美術からシュルレアリスムまでの西洋美術史を、中心人物や特徴などを時代背景とともにざっくりと解説していきます。

(内容解説)
時代:時代、年代
特徴:その時代の作品の特徴
目的:画家の目的
用途:描かれた美術品の使い道
場所:中心となった場所
人物:中心となった人物など
背景:時代背景・技術革新など

ギリシャ美術

時代:BC6世紀頃〜0年
特徴:理想の姿・筋肉・大胆
画題:ギリシャ神話の神々
目的:「理想の美」の追求
場所:ギリシャ
人物:不明
背景:哲学が盛ん。良質な大理石が多く採れた

ギリシャ美術が栄えた時代では、哲学が盛んで、「精神と肉体との調和が取れた人間」になることが理想とされていました。
パルテノン神殿やミロのヴィーナスなどがこの時期に制作されています。

(写真)ミロのヴィーナス

ローマ美術

時代:紀元前1世紀頃〜3世紀頃
特徴:巨大
画題:皇帝の肖像など
用途:権力誇示
場所:ローマ
背景:ローマ帝国の拡大により発展

ローマ美術はローマ帝国の拡大により発展した美術です。
そのため、強大な権力を表すコロッセウムや凱旋門などの巨大な建造物が多く作られました。
彫刻ではプリマポルタのアウグストゥスなどが有名です。

初期キリスト教美術

時代:2世紀頃〜6世紀頃
特徴:モザイク画・素朴な表現
画題:宗教画
目的:布教
用途:布教
場所:ローマ
背景:キリスト教とともに発展

初期キリスト教美術は、ローマ帝国の拡大とともに入ってきたキリスト教を、文字の読めない人々にも伝えるために発展していきました。
キリスト教がローマに伝わった60年頃から、公認される313年までは弾圧の対象でしたが、信者たちは弾圧を受けながらも墓地や壁画に絵を描きました。
聖書の物語を伝えられるよう、モザイクを用いて描かれました。

ビザンティン美術

時代:5世紀〜15世紀頃
特徴:正面から描いた肖像画・装飾的
画題:宗教画(キリスト教)特にイコン(聖人像)
用途:布教・政治利用
場所:東ローマ帝国
背景:モザイク画・フレスコ画が発達

ビザンティン美術では、ギリシャ・ローマ美術やキリスト教美術を継承しつつ、アジア(ペルシャ)から入ってきたエジプトやメソポタミアの装飾的な美術要素が加わった絵画様式が誕生しました。
この時期、頻繁に描かれるのはイコンという、聖人の肖像画でした。
特にキリストを真正面から描いたイコン画は、神聖なものとされ、権威を持つようになります。

(写真)受胎告知(部分) 5世紀前半 サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂

ゴシック美術

時代:12世紀後半〜
特徴:ステンドグラス
場所:北フランスなど
有名:シャルトル大聖堂のステンドグラスなど
背景:建築技術が進歩
大きな窓を作れるようになった

建築技術が進歩したことにより、アーチや細い柱での建築、大きな窓を作れるようになったため、絵画は壁画でなくステンドグラスが多く用いられるようになりました。

(写真)シャルル大聖堂

ルネサンス美術

時代:14世紀頃〜
特徴:正確で均整の取れた人体、豊かな表情、奥行ある空間表現
画題:宗教・人物・風景・風俗
目的:ギリシャやローマ文化の復活。現実的・科学的に捉える。
用途:布教・権力誇示など
場所:イタリア(フィレンツェ)→ローマ
人物:レオナルド、ミケランジェロラファエロ
背景:戦乱・ペストの流行、絵の具の発展

ルネサンスの語源はイタリア語の「再生(rinascita)」
ルネサンスギリシャ・ローマ文化の「再生」を目指しました。
戦乱やペストの流行により、人々は(ギリシャ・ローマ文化のような)従来の価値観にとらわれない人間性を目指し、人間や自然を現実的・科学的に捉えようとしました。

絵の具を作る技術が発展したことで、より緻密な描写が可能になったことも、ルネサンス文化の発展に大きく影響しました。
また、この頃から風景画・風俗画が描かれ始めますが、風俗画といっても宮廷の様子を描く程度でした。

補足:ルネサンス内での分類
・初期ルネサンス
 自然な表情・奥行きのある空間表現。
 ジョットやボッティチェリなど
・北方ルネサンス
 人物画、風景画、風俗画を確立。
 ヤンファンエイクなど
・盛期ルネサンス
 ギリシャ・ローマと同等の美術の完成。
 レオナルドやミケランジェロラファエロなど


(写真)アテネの学堂 ラファエロ・サンティ
1511年 500×7.7cm ヴァチカン美術館

バロック美術

時代:16世紀末〜18世紀前半
特徴:暗い画面・劇的な光の演出・誇張
画題:宗教・人物・風景・風俗(宮廷の従者も描くようになる)
用途:カトリックの信者を増やすため、権力誇示(貴族から富裕層まで拡大)
場所:イタリア・スペイン・オランダ
人物:カラバッジオルーベンス(イタリア)、
   ベラスケス(スペイン)、
   レンブラントフェルメール(オランダ)
背景:宗教改革プロテスタント誕生・カメラ・オブスクラ

バロック美術は、宗教改革によりプロテスタントが生まれたことで、危機を感じたカトリックが信者を呼び戻すために生まれました。
スポットライトをあてたような、ドラマチックな光の演出が特徴です。
また、16世紀からはカメラ・オブスクラという、風景を投影する装置が普及したことでより写実的な絵画を可能としました。

補足:キリスト教の宗教画はカトリックだけ
キリストの姿を想像で描くことは、本来キリスト教で禁止されている「偶像崇拝」であると反対し、生まれたのがプロテスタント
そのため、プロテスタントは宗教画をほとんど描いていません。


(写真)夜警 レンブラント・ファン・レイン 1642年 363×437cm アムステルダム国立美術館

ロココ

時代:18世紀
特徴:軽快・優美・装飾的
画題:宗教・人物・風景・風俗(男女の戯れ)
用途:権力誇示
場所:フランスの宮廷
人物:ヴァトー、フラゴナール
背景:貴族文化、サロンが始まった

貴族が栄え、ピクニックやサロンなどといった貴族の文化が優雅になった時代。
この時代では、貴族の生活や男女の戯れを想像的に描きました。

(写真)ぶらんこ フラゴナール 1768年頃 ウォレス・コレクション(ロンドン)

新古典主義

時代:18世紀後半〜19世紀前半
特徴:安定した構図、正確な形、形式美
画題:宗教・人物(肖像)・風景・風俗
目的:ギリシャ・ローマ様式の模倣
用途:権力誇示など
場所:ヨーロッパ全土
人物:ダヴィット・アングル
背景:新たな古代遺跡の発見から古典への関心
   ナポレオン政権

この時代では、軽快で派手なロココの反動や新たな古代遺跡の発見から、再び古典を見直す動きが出てきました。

(写真)グランド・オダリスク アングル 1814年 ルーヴル美術館

ロマン主義

時代:18世紀末〜19世紀前半
特徴:個性、感情、主観的な作品(絶望・恋愛など)
画題:歴史・人物・風景・風俗
用途:権力誇示
場所:イギリス・フランス・ドイツ
人物:ドラクロワゴヤ
背景:産業革命・民主主義

ロマン主義では、新古典主義に対し、個人の自由な感性や想像力を表した情熱的な絵画が好まれました。
特に有名な作品はウジェーヌ・ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」など

(写真)民衆を率いる自由の女神 ドラクロワ 1830年

写実主義

時代:19世紀中頃
特徴:写実的、自然光
画題:風景・人物(農民をメインで描くようになる)
目的:目に見えるものをありのままに描こうとした
場所:パリ郊外
人物:クールベ、ミレー、コローなど

写実主義の画家は、古典主義やロマン主義などの理想的な世界ではなく、現実を見直そうとしました。

(写真)落穂拾い ジャン・フランソワ・ミレー 1857年 83.5x111cm オルセー美術館

印象派

時代:19世紀
特徴:明快な色、荒いタッチ、屋外での制作
画題:風景・風俗(娼婦なども描くようになる)
目的:光がきらめくその一瞬を切り取ろうとした
場所:フランス
有名:「印象ー日の出」
背景:チューブ絵具の開発、写真の発明(1827年
   蒸気機関車1802年)、ジャポニズム(19世紀中頃)

混色せず、チューブから出したままの色で、その時その瞬間の印象を描く技法が特徴的な印象派
印象派の語源はモネの「印象ー日の出」です。
印象派は「デッサンや遠近法など優れた技法で歴史画・宗教画を描くことがすばらしい」と考えられていた時代に、技法を無視した感覚的な技法で風景画や風俗画を描きました。
また、チューブ入り絵の具が開発されたことで、屋外での制作が容易になったことも重要な点です。

(写真)印象-日の出 クロード・モネ 1872年

フォービズム

時代:20世紀初頭
特徴:原色・激しい色彩・
画題:風俗・風景
目的:色彩で感情を表そうとした
場所:フランス
人物:マティスアンドレ・ドラン

フォービズムはフランス語の「フォーヴ(野獣)」から来た名前です。
「色の革命」ともいわれ、本来の色にとらわれず、原色を使った激しい色彩で感情を表現しました。

(写真)赤のハーモニー アンリ・マティス

キュビズム

時代:20世紀初頭
特徴:複数の視点や角度から描く
画題:人物・静物・風景
目的:3次元をいかにして2次元にするかという主題の追求
場所:フランス(パリ)
人物:ピカソ・ブラック

キュビズムの語源は「キューブ(立方体)」
ブラックの描く風景画が「小さなキューブによる絵のようだ」と、言われたことから、この名前が付きました。
伝統的な遠近法や写実を一切排除したことから、「形の革命」ともいわれています。

(写真)アヴィニョンの娘たち パブロ・ピカソ 1907年 ニューヨーク近代美術館

ダダイズム

時代:第一次世界大戦中(1914〜1918年)
特徴:複数の視点や角度から描く
画題:既製品などから引用
目的:社会や文化に対する抵抗や絶望感などを表現
場所:ヨーロッパ→ニューヨーク
人物:デュシャン
背景:第一次世界大戦

ダダイズムは、第一次世界大戦中、社会や文化に対する抵抗や絶望感などから、アートや創造をすることの意味・可能性を問いかけました。
この頃を起点として、アートの中心がヨーロッパからアメリカへと写っていきました。

(写真)泉 マルセル・デュシャン 
デュシャンは既製品(レディ・メイド)に架空の画家のサインをすることで、アートの意味を問いかけました。

シュルレアリスム

時代:1919〜1924年
特徴:驚異、意外な並列、不条理性
画題:風景
目的:潜在的に持っている欲求を引き出そうとした
場所:フランス
人物:マグリッド、ダリ
背景:心理学者・フロイト精神分析理論に影響

シュルレアリスムは、フロイト精神分析理論に影響を受け、夢の情景などを使って潜在意識を引き出そうとしました。

(写真)記憶の固執 サルバドール・ダリ 1931年 ニューヨーク美術館


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投稿 2021.06.18
更新 
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水墨画 中国・日本それぞれの歴史と特徴

水墨画とは

墨で表現される墨絵(すみえ)の一つ。
中国唐代に成立したとされています。
英語訳は「ink painting」または「Chinese ink painting」
まれに、Zen(禅) painting と呼ばれる事もあります。

中国での水彩画の歴史と特徴

墨一色の濃淡だけで表現するような絵画が描かれ始めたのは唐代からとされています。

そもそも「墨」が使われるようになったのは、中国・殷(BC17世紀-BC1046年)代から。
墨を使った絵画(壁画)は漢(BC206-220年)代にはあったそうですが、当時の絵画は墨の線に着色をしたようなもので、墨一色ではありませんでした。
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(写真) 匡廬図(ぎょうろず) 荊浩
荊浩(けいこう)は中国唐代の水墨画家で、初期の水墨画で有名な画家です。

その後、宋代(760-1277)には、文人官僚の余技(遊び)として水墨画が描かれるようになり、禅宗が普及する際に、禅宗に関する人物画が水墨画で描かれました。

中国の水墨画の表現は、写実表現を追求する段階で生まれた絵画と言われており、「写実的な表現」を試みた結果、色をつけることをやめ、墨の濃淡だけで表現する方法が生まれた所に興味深さがあります。
また、西洋絵画のような影の表現がないことや、写真のように精密な描写でないことも特徴的です。
これは、西洋画が「見たまま」自然なものの描写を試みたのに対し、水墨画はものの「本質」を描こうと試みたという、目的の違いがあると考えます。


日本での水彩画の歴史と特徴

奈良時代(710-794年)時代には、墨や唐代の墨画の技法が輸入され、木簡や壁画等に墨で書いた文字や墨画がありましたが、
いわゆる墨の濃淡だけで表現する「水墨画技法」が描かれるようになったのは鎌倉時代でした。
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(写真)鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ) 7世紀頃 136×56cm 正倉院宝物
奈良時代に伝わった唐代の墨絵技法がわかる絵画

鎌倉時代に中国から渡ってきた水墨画は、禅の思想を表す『達磨図』・『瓢鮎図』など。
禅宗が武士からの支持を集めたことにより、水墨画は多く描かれるようになりました。

さらに室町時代では水墨画が日本で独自に発展しました。
室町幕府・足利家が禅宗を庇護したことで禅文化が栄え、水墨画で有名な如拙、周文、雪舟をはじめとする画僧を多く輩出しました。
日本では、中国の水墨画家「牧谿」が一番優れた絵師とされ、牧谿の作品の模写が多く行われました。
中国の水墨画発祥の起源(写実)とは違い、「模倣」が発祥の起源だったためか、写実表現とは違う表現が生まれたところがポイントです。
日本の墨画は、水墨画がメインで、さらに禅宗の教えとともに広まったことから、「禅の考えを表す」という抽象的な表現を求められました。

また、初期の水墨画は人物画や花鳥画が多く描かれていましたが、この時期(15世紀)からは日本でも本格的な山水画が描かれるようになりました。
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(写真)秋冬山水図 雪舟等楊 室町時代15世紀 東京国立博物館 国宝

また、「詩画軸」が制作されるようになったことも重要なポイントです。
「詩画軸」とは、「詩・書・画」が一体として考えられる考え方を表した作品で、掛軸の画面下部に水墨画を描き、上部の余白に画題と関連する漢詩を書いたものです。
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(写真)紫門新月図 

また、琳派で知られる宗達光琳は、水墨画に日本的情感を盛り込み独特の表現をしたことでも知られています。



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投稿 2021.06.11
更新 
参考 

水墨画の技法
https://funart.hatenablog.com/entry/2020/04/26/182054
牧谿
https://funart.hatenablog.com/entry/2020/02/29/183702

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塩田千春

*塩田千春*

生 年  1972年
時 代  現代
出身地  大阪
居住地  ベルリン
分 類  現代アートインスタレーション
テーマ  生と死
題 材  赤い糸・靴やかばんなど
受影響  村岡三郎、マリーナ・アブラモヴィッチレベッカ・ホーンなど


塩田千春は大阪出身ベルリン在住の現代アート作家です。
2015年、ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館代表作家として選出されたことで、近年さらに注目を浴びるようになりました。
大きな会場を使用した大規模なインスタレーションが有名ですが、他にも立体や写真・映像なども制作しています。

現代社会に問いかけるような作品が多い現代アートの分野で、塩田は「生と死」という人間の根源ともいえる内面的なテーマを掲げ、生きることや人間の存在について問いかける作品を多く制作しています。
その背景には、自身の癌治療の体験や、師事したアーティストが考えられ、今回はその2点をご紹介します。

*癌の闘病生活*

塩田は2005年に癌を発症し、2017年に再発しました。
機械的に進んでいく病気の治療に違和感や葛藤を覚え、塩田は作品に昇華するしかなかったと語っています。

「まるでベルトコンベヤーで運ばれるように、全てはシステマチックに段取りされてゆく。その中に『私』は全く存在しないという不条理に、魂が置き去りにされている、と感じた。どうにもならない心の葛藤を説明するには作品をつくるしかなかった」
(引用:「魂がふるえる」インタビュー記事より)

2019年、癌の再発後に行った、自身最大規模の個展「魂がふるえる」では、癌治療での自身の体験を踏まえた新作が発表されました。

「ここまで死と寄り添った展覧会は初めてで、死や生きていくことを考えさせられた展覧会でした」
(引用:美術手帖「魂がふるえる」インタビュー記事より)

*影響を受けたアーティスト3名*

ここからは、塩田が師事し、影響を受けたアーティストを時代順に紹介していきます。

村岡三郎(1928-2013)

京都精華大学彫刻科教授。塩田は在学当時、彼に師事していました。
戦争体験の影響からか、生命や死についてをテーマとし、鉄、硫黄、塩などの自然物質を使って表現した作品で知られています。
https://www.kenjitaki.com/artists_j/muraoka_j.html
村岡三郎の作品はこちらから。KENJI TAKI GALLERY 村岡三郎

マリーナ・アブラモヴィッチ(1946-)

パフォーマンス・アートで知られるアーティスト
ブラウンシュヴァイク美術大学在学中(1997−1999)約2年ほど師事していました。
アブラモヴィッチは、炎の中に横たわり危うく窒息死しかけるといったような、肉体を極限まで駆使した過激なパフォーマンスを行いながら、パフォーマーや鑑賞者との関係性や意識を考える作品を作り出しました。
【Art File Y013】マリーナ・アブラモヴィッチ「夢の家」 - YouTube
マリーナ・アブラモヴィッチ「夢の家」

レベッカ・ホーン(1944-)

ビジュアルアーティスト、映画監督
ベルリン芸術大学(UDK)在学中(1999−2003)に師事していました。
身体に羽や角をまとい、身体拡張をテーマとした作品が有名で、彼女の作品は簡単な機械を使った物が多く、現代文明に対しての批判を訴えています。
f:id:fumi23art:20210528155939j:plain


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投稿 2021.05.28
更新 
参考 
塩田千春公式HP
https://www.chiharu-shiota.com/top-japanese

美術手帖 塩田千春が癌との闘いを経て見せるもの。森美術館「塩田千春展:魂がふるえる」のここに注目 2019.6.19
https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/20030

25年の軌跡…塩田千春の個展 魂のゆくえ求めて 2019.07.14
https://www.sankei.com/article/20190714-2Y5TJNH525LW3DYXNQY7BPGHCQ/

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パーソンズ、ハウゼンの「絵画鑑賞の発達段階」から、有意義な絵画鑑賞を考える

今回は、パーソンズやハウゼンの「絵画鑑賞の発達段階」をもとに、絵画鑑賞をより有意義にする「鑑賞の手順」を考えていきたいと思います。

パーソンズとは

(Michael J. Parsons 1935- イギリス)
心理学者・ピアジェの「認知発達理論」やコールバーグの「発達段階説」を絵画鑑賞に応用し、絵画鑑賞の発達段階を提示しました。

「絵画鑑賞の発達段階」
第1段階「偏愛主義」(Favoritism)
 表面的な感想を抱く段階。
 「好きな絵=良い絵」で、色彩へに注目する特徴がある。
第 2段階「美と写実主義」(beauty and realism)
 「良い絵=描写力のある絵」と考え、描写技術の良し悪しで判断する。
第3段階「表現性」(expressiveness)
 主観的にアーティストの思考や感情に注目できるようになる。
第4段階「様式と形状」(style and form)
 形式、スタイル、歴史的な意義を知り作品を理解することができるようになる。
 広い視野で客観的な判断ができるようになる。
第5段階「自律性」 (autonomy)
 作品の背景や歴史的背景・一般的な作品評価を踏まえた上で、独自の考え方を示すことができるようになる。

ハウゼンとは

(Abigail Housen)
認知心理学
1980年代にMoMA美術館の学芸員と共同で「感受性の段階」を提示し、その段階を応用した美術鑑賞教育法を開発しました。
この方法は「対話型鑑賞」として現在でもよく知られており、この教育方法を行うことで観察力・批判的思考力・コミュニケーション力を学ぶことができるとしています。

「感受性の段階」
第 1 段階「説明の段階」(Accountive Stage)
 主題や内容・色について個人的な感覚で観察や考察をすることができる。
第 2 段階「構成の段階」(Constructive Stage)
 美術鑑賞の枠組みが作られ始め、社会的な価値観で評価・判断できるようになる。
第3 段階「分類の段階」(Classifying Stage)
 作家や流派・時代などを踏まえて、客観的な見方ができるようになる。
第 4 段階「解釈の段階」(Interpretive Stage)
 個人的な解釈ができるようになる。独特なものを好む。
第 5 段階「再創造の段階」(Re-creative Stage)
 自分で得た知識や解釈が再構築され、新たな捉え方ができるようになる。

まとめ

この2つの発達段階を比べて見ると、ある程度共通していることがわかります。

美術鑑賞の発達段階
①作品の表面を見て個人的な感想を抱く
②描画技術の素晴らしさに気づく
③④作家や作品についての情報を踏まえ作品を理解できる
⑤様々な情報を持った上で自分なりに解釈することができる
となります。

この発達段階を利用して絵画鑑賞の手順を考えると、

絵画鑑賞の手順

  1. 作品について個人的な感想を考える。
  2. タッチや写実的な部分に注目する。
  3. 作品の描かれた時代背景や当時の世界・地域の状況を知る。
  4. アーティストについて、生まれた環境や所属した流派、出来事などについて知る。
  5. それらを踏まえた上で改めてこの作品について考える。

といった順序になります。

この順序で鑑賞をしていくと、鑑賞がより有意義になるのではないでしょうか?




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投稿 2021.05.21
更新 
参考 

鑑賞支援ツールのひろば 鑑賞の発達理論
https://www.geijutsu.tsukuba.ac.jp/kansho/%E9%91%91%E8%B3%9E%E3%81%AE%E7%99%BA%E9%81%94%E7%90%86%E8%AB%96/

パーソンズの『絵画の見方』における発達の概念と その美学的枠組みに関する考察(1 大学美術教育学会「美術教育学研究」第 48 号 2016年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/uaesj/48/1/48_377/_pdf/-char/ja

ゼロアート 美術鑑賞の7つの効果とは?美術鑑賞を行うことで得られる7つの力について解説!
https://zeroart.jp/archives/3947

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渡辺省亭

*渡辺省亭(わたなべせいてい)*
生没年  1852-1918
時 代  明治・大正
居住地  江戸・浅草
分 類  日本画
特 徴  卓越した描写力・西洋の写実表現を取り入れた花鳥画
題 材  歴史画・花鳥画美人画
受影響  菊池容斎印象派
その他  初めてパリに渡った日本画


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(写真)渡辺省亭展 ポスター(展覧会詳細は下に記載)
渡辺省亭は代々秋田藩の札差(ふださし・武士の給料である俸禄米を換金する業者のこと。現在の金融業のようなもの)の家の次男として生まれました。
子供の頃から絵ばかり描いており、またそれが上手だったため、12歳で商人となるために奉公に出るも送り返され、16歳で歴史人物画を得意とした日本画家・菊池容斎のもとに弟子入りし、指導を受けました。

*巧みな筆さばきと師・菊池容斎の指導*

渡辺省亭の特徴はその巧みな筆さばきにあります。
刷毛の跡をわざと残すことで勢いを表したり、線を残さずきれいにぼかしたりすることで、写実的な表現を可能にしました。
彼の作品からはまるで光の様子や空気感が伝わってくるようです。
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(写真)花鳥魚蝦書冊 渡辺省亭 メトロポリタン美術館
水の中にいる様子を、線を一切描かずきれいなぼかしにより描いています。
葉の表現は細くも勢いをつけたタッチ、目や鱗は丁寧に、など、巧みな筆での描き分けがされています。

この省亭の切れ味の良い筆さばきは、師匠である菊池容斎の指導によって培われたと言われています。
菊池容斎の指導は独特で、「書画一同」の考えのもと、入門して3年はひたすら習字をさせられたそう。
そして3年間みっちりしごかれたかと思うと、今度は放任。先代の技術は受け継ぎながらも自由にやりなさいという指導に変わりました。
また、町へ出たときは見かけた人の服装や様子について事細かく質問されたそう。
このような体験から、省亭の細部までこだわった描写力が生まれたと言われています。
4年後、理由不明に破門され師のもとを去ることになりましたが、3年経ったのち、呼び戻されます。破門にも容斎の指導意図が隠されているのでしょうか?
聞いているだけでもだいぶ破天荒な師ですが、省亭は生涯、容斎を慕い続けました。

*初めてパリに渡った日本画家*

省亭は日本画家で初めてパリに渡った人物です。
日本画家として独自で渡仏したわけではなく、貿易会社の嘱託社員として渡仏しました。

1875年、省亭は輸出用陶器などを扱っていた日本最初の貿易会社に就職。
そこで七宝焼などの図案を描くことで評価され、パリ万国博覧会での出品・受賞を機にパリに渡ることになりました。
省亭がパリに滞在した期間は約3年間。
滞在中に、省亭はエドガードガを始めとした多くの印象派の画家と交流しました。
省亭は彼らとの交流の中で、日本の趣はそのままに、印象派の色彩表現や写実表現を取り込んだ作風を切り開きました。
印象派の画家にとっても省亭の画風は新鮮で、多くの印象派の画家たちが彼の筆さばきに驚嘆し、影響を受けました。

海外で評価された人物ではありますが、生まれ育った江戸の、完璧な美しさよりどこか抜けている、小洒落れたものが美しいとする「独特な美意識」を生涯大事にしてきたことでも知られています。
その美意識は、なるべく書き込みを少なくして、大事なところだけ描き、メインでないものを書き込まず「抜け感」を出す表現や、全体的に薄塗りの表現から見て取る事ができます。
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(写真)「渡辺省亭ー花鳥画の孤高なる輝きー」表紙 岡部昌幸 東京美術発行¥2000−
メインの鶴は部分的に書き込みながらも、特に左下の幹は太い筆で一発書きしたかのような大胆な表現。
それにも関わらず遠くから見るとしっかり書き込んでいるように見えるところが省亭の巧みな技術を物語っています。


帰国後、万博や個展などで国内外から高い評価を受けますが、国内では画壇に所属することを嫌い距離を置いていた事もあって、次第に展示の機会が少なくなっていき、長い間忘れられることになりました。

令和3年現在、渡辺省亭100回忌を期に展覧会が企画され、新たに注目を浴びています。
5月7日現在、新型コロナウイルス感染対策のため臨時休館中ですが、23日まで展示の予定のため、興味のある方はぜひご覧になってください。

* * * * *
投稿 2021.05.07
更新 
参考 
渡辺省亭-欧米を魅了した花鳥画
https://seitei2021.jp/
会期 2021年3月27日(土)~5月23日(日) ※現在から臨時休館
時間 午前10時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
会場 東京藝術大学大学美術館(台東区・上野公園)
巡回 (愛知)岡崎市美術博物館 2021年5月29日(土)~7月11日(日)
   (静岡)佐野美術館 2021年7月17日(土)~8月29日(日)

加島美術hp https://www.kashima-arts.co.jp/exhibitions/watanabe_seitei/

wikipedia 渡辺省亭
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E7%9C%81%E4%BA%AD

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土佐 光芳

*土佐光芳(とさみつよし)*
生没年  1700−1772
時 代  江戸時代中期
居住地  京都
分 類  土佐派
題 材  似絵(肖像画)・仏画など
その他  土佐派系図を作成

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(写真)推古天皇像 1726年 叡福寺蔵
光芳26歳の作品。幼少から絵の才能を認められていた光芳の画力の高さが分かる作品。
推古天皇千百年遠忌に合わせて制作・奉納された作品。聖徳太子絵伝の推古天皇を参考にして描かれたもの。


光芳は土佐派の基盤を安定させた絵師です。
祖父は途絶えかけた土佐派を再建した土佐光起の子・光成で、光成の死後、その4ヶ月後に早死した父・光祐の後継として、わずか11歳で絵所預となり家督を継ぎました。

*土佐派の基盤を安定させた*

光芳は幼少より画技を認められていたこともあってか、順調に宮廷での位を上げ、このことにより宮廷の中で安定した位に就くようになります。
その中で、財政基盤の安定・組織拡大という2つの方策を取ることにより、土佐派は幕末まで続く安定した画派となりました。

①財政基盤の安定
また、光芳は土佐派に安定した財政基盤を築きました。
これまでの土佐派は、仕事の量に応じた金額を受け取っていたため不安定な生活を送っていましたが、光芳の嘆願により、給料制度のような体制で毎月一定の金額を受け取れるようになりました。
②組織拡大
さらに、組織を長く存続させるために、長男が本家を継いだあとに次男を分家させ、組織を拡大させました。


また、光芳は「土佐派系図」(家系図)を作成した人物としても知られています。
時系列などやや辻褄が合わない箇所が見られますが、この家系図は自家の正当性を確認する意図があったと考えられています。
このようなことからも、土佐派という組織の拡大・安定化を考えた光芳の人物像が伺えます。



f:id:fumi23art:20210430125726j:plain
(写真)藤原定家像 土佐光芳 18世紀前半 54×32.5 敦賀市立博物館
鎌倉時代初期の歌人藤原定家肖像画
作品上部には色紙形で、新勅撰和歌集から引用した定家の和歌が書かれています。

あけは又 秋のなかはも すきぬへし
かたふく月の おしきのみかは
(八月の十五夜の夜が明けたら今年もまた秋も半ば過ぎるだろう。中秋の名月が名残り惜しいだけだろうか、いや、過ぎていく秋もまた惜しい)


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投稿  2021.04.30
更新  
参考  
藤原定家像 淳賀市立博物館
http://jmapps.ne.jp/tsuruga/det.html?data_id=253

土佐派とは
https://funart.hatenablog.com/entry/2020/04/21/172014

土佐三筆
https://funart.hatenablog.com/entry/2020/12/11/192212