鳥獣人物戯画の作者について
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概要
・作者についてははっきりとわからない
・鳥羽僧正覚猷(とばそうじょうかくゆう)という説がある
・複数の人物が描いたものを繋ぎ合わせた
作者は鳥羽僧正覚猷という人物だ、と言い伝えられていますが、確証はないようです。
甲乙丙丁の4巻で筆致(筆づかい)が違うので、様々な作者によって描かれた絵が高山寺に集結し、集めて出来上がったと考えられています。
ここからは、鳥羽僧正覚猷という人物についてお話します。
鳥羽僧正覚猷とは
・1053年-1140年(88歳)
・風刺画(戯画)が得意とされる
・当時第一級の評価を受けていた
・覚猷作の確実な作品はない
元々は覚猷(かくゆう)という名前ですが、鳥羽上皇からの信頼が厚かったことから、鳥羽僧正(とばそうじょう)の名を与えられ、称えられたと言われています。
のちの浮世絵のジャンルである「鳥羽絵」という名前は、鳥羽僧正から取られたのだとか。
覚猷伝と伝えられている、他の作品で有名なものは「信貴山縁起(しぎさんえんぎ)」です。
源氏物語と並んで称される絵巻物で、こちらも鳥獣人物戯画に劣らず有名な作品です。
また、天台宗(てんだいしゅう)は、中国を発祥とする大乗仏教の宗派のひとつで、平安時代初期(806年)に、最澄によって日本にもたらされました。
今で言う日蓮宗の流れで、「南無妙法蓮華経」と唱える宗教です。
ちなみに、収蔵されている高山寺は真言宗です。なんだか不思議ですね。
いかがだったでしょうか。
昔の日本の伝統絵画は絵のうまいお坊さんやお侍さんが描いている作品が多いですが、天台宗のトップになるようなお坊さんが、こんな可愛らしい絵を描いているなんて、意外ですよね。
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このブログでは、元美大生の筆者が、日本の絵画を中心に、毎日少しずつ語っていきます。ぜひコーヒー片手に、空いた時間に読んでもらえたら嬉しいです。
それでは、また明日