狩野山雪
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*基本情報*
生没年 1590年-1651年
時 代 江戸時代初期
居住地 京都
特 徴 水平や垂直を意識した幾何学的構図
代表作 老梅図襖・雪汀水禽図屏風(せっていすいきんずびょうぶ)
(写真)筆者が狩野派にハマっていた時期に買った雑誌。目次の次のページに見開きで山雪の老梅図襖の写真が載っています。
(写真)老梅図襖 1647年 166.7×116cm 妙心寺天祥院襖絵 メトロポリタン美術館
梅や桜の木々は普通、枠から飛び出してのびのびと描かれます。
(写真)狩野永徳 聚光院障壁画のうち花鳥図 聚光院
しかし、山雪のこの梅は画面に窮屈そうに収まって描かれています。
自然にはありえない、幾何学的に描かれた木は山雪の構成力の高さを物語っていると評されます。
また、よく見ると太く矯正された木から小さな枝がのびのびと生え、可愛らしい花を咲かせています。
老いゆく窮屈な中にも新しい希望がある、と言いたかったのでしょうか。
京狩野
狩野山雪は「京狩野」の2代目です。
狩野派は、もともと室町幕府の御用絵師ですが、江戸時代になると、徳川氏を頼って江戸に移った多くの狩野派に対して、京都に残った狩野派は「京狩野」と呼ばれるようになります。
山雪の師である山楽は、秀吉に気に入られていたことから、そのまま秀頼に仕え、京都に残りました。
徳川の治める時代ですから、狩野派の本流は江戸となっていきます。
その裏側で、京都に残った山雪ら京狩野は、豊臣氏の滅後、嫌疑をかけられて投獄されるなど、不遇な扱いを受けたようです。
そのような環境が、山雪にこのような絵を描かせたのでしょうか。
ちなみに、孤独を好む性格だったと伝えられています。なんだか納得してしまいました。
(写真) 雪汀水禽図屏風 154×358cm
こちらの作品も有名です。なんだか物寂しさを感じますが、老梅図屏風に比べて広がりのある伸び伸びとした印象です。
山雪は蔵書家で絵画史研究をしていたらしく、3代目の狩野永納は日本初の画伝書「本朝画史」を書いたことで有名です。
中身は、狩野派でよく描かれるモチーフと、その描き方について詳しく描かれた技法書。江戸の狩野派が作ったのではなく京狩野が作った技法書、ということが、興味深いですね。
いかがだったでしょうか。
内容の認識違い等ありましたら、ぜひコメント等で教えてください。
このブログでは、元美大生の筆者が、日本の絵画を中心に、毎日少しずつ語っていきます。ぜひコーヒー片手に、空いた時間に読んでもらえたら嬉しいです。
それでは、また明日
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投稿 2020.02.20
更新
参考
wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/狩野山雪
狩野派決定版 2004年9月出版 別冊太陽