伊藤若冲
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*基本情報*
生没年 1716年-1800年
時 代 江戸時代中期
居住地 京都
分 類 -
特 徴 鮮やかな色彩・圧倒的な描写力
代表作 動植綵絵
「若冲」という名前は、禅の師である相国寺の禅僧から与えられた名のようで、「老子」45章の「大盈若冲(だいえいはむなしきがごとし)」から引用されています。
意味は、「とても充実しているものは空っぽのように見える」
若冲は、絵画以外の世間の雑事には全く興味を示さなかったそうです。実家の青物問屋の商売も熱心でなかったとか。
若冲は狩野派の画法を学んだ後、その画法を捨て、宋元画の模写に励んだと言われます。
写生が好きで、身近な静物や家に飼っていた鶏をよく観察し、デッサンしました。
そんなことから、作品も細密な描写で、近くで見ると細かい部分まで丁寧に描かれていたことがわかります。
現在日本では、江戸時代の有名な画家のひとりとして知られていますが、当時の主流の絵画でないことなどから、長く忘れ去られていたようです。
当時の主流の絵画は、狩野探幽や丸山応挙でした
(写真)狩野探幽「雪中梅竹遊禽図襖」 1634年 191.3×135.7cm×4枚 名古屋城
(写真)円山応挙「雪松図屏風」
若冲とは全く違う画風で、若冲がいかに当時の主流と違う絵を描いていたかがわかりますね。
首都が江戸に移った時代の京都で、若冲は何を考えこのような作風の絵を描いたのでしょうか。
(写真)動植綵絵 群鶏図 1761-1765 142.6×79.7cm 宮内庁三の丸所内蔵
若冲の絵画は、よく日本で言われている「余白の美」の真逆で、いろんな色で対象を描きました。
ちなみに、当時の絵の具は、小さじ1杯程度で1俵の米が買えるほど貴重なものでした。
青物問屋(生鮮食品の卸売業)の長男で金持ちだったため、高価な絵の具をたくさん買うことができたようです。
(写真)「紫陽花双鶏図」140.0×85.0㎝ 18世紀 エツコ&ジョープライスコレクション
江戸時代中期の画家で、こんなに鮮やかな絵具を使っている人物はあまり見ないですね。
いかがだったでしょうか。
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それでは、また明日
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投稿 2020.02.21
更新
参考