酒井抱一
こんばんは今日は江戸琳派の祖 酒井抱一について、お話しようと思います。
*基本情報*
生没年 1761-1829年
時 代 江戸時代後期
居住地 江戸→京都
分 類 琳派
代表作 夏秋草図屏風
特 徴 装飾的・上品ですっきりとした画風
草花をよく描く
酒井抱一の家は、老中にも任じられるほど社会的に地位の高い大名家でした。
多趣味で文化人の家柄だったようで、様々な文化に触れる中で抱一は絵を描いていたようです。
抱一は武家出身のため、幼少期は狩野派や酒井家に習っていますが、当時の江戸の民衆のブームは浮世絵。美人画なども描いていました。
兄の死をきっかけに抱一は出家し、出家先の京都で光琳の作品に出会います。
光琳の絵画は、当時は唐絵が主流だったこともあり、世間から忘れられていました。
京都で光琳の絵はじめて目にした抱一は、光琳の絵を個人的に師とあおぎ真似るようになります。
ちなみに、この画風の転換は、浮世絵が禁止されてしまったということも時代背景の理由としてあったようです。
抱一は光琳風の描き方をする一派を「緒方(尾形)派」と名付け、「琳派」という名が浸透するまではそのように呼ばれていました。
*夏秋草図屏風*
抱一の作品で有名なものの一つ、夏秋草図屏風。
これは、一橋徳川家から「尾形光琳の風神雷神図屏風の裏に何か描いて欲しい」という依頼を受け、制作したものです。
光琳の描く「風神雷神」を受けて、風神によって強い風が、雷神によって雷雨がもたらされている様子を描いています。
天界が「金」で表されているので「銀」の地を作っている点なども、光琳の風神雷神と対比されています。
ちなみに、現在は保管のために別々に表装されています。
いかがだったでしょうか
内容の認識違い等ありましたら、ぜひコメント等で教えてください
それでは、また明日
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投稿 2020.03.29
更新
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