つれづれ美術手帖

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竹内栖鳳

こんばんは、今日は竹内栖鳳(たけうちせいほう)についてお話します。

 


*基本情報*
生没年 1864-1942年
時 代 昭和
出身地 京都
分 類 京都画壇
代表作 大獅子図
特 徴 西洋のリアリティ表現を取り入れた
その他 近代日本画の先駆者
    様々な画壇・流派を勉強した
    欧化主義(おうかしゅぎ)


栖鳳が生きた時代では「東の大観・西の栖鳳」と評されていましたが、現在はあまり知られていない画家でもあります。また当時の絵画界としても、表現や描き方が斬新だったため、なかなか受け入れられなかった画家でもありました。

 

 

*様々な画壇・流派を勉強した*

当時の絵画界では、それぞれの流派で描き方が違い、それぞれが独立していました。
しかし栖鳳は、何か一つの流派にこだわることなく、様々な流派のいいと思う所を積極的に取り入れ、絵を描きました。

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(写真)保津川図 1890年頃 70.3cm×110.3cm 東京国立博物館

様々な画壇の作風をまねて取り入れるその姿勢は、まさに近代の画家のようですね。

 


精密なデッサンの丸山派・力強い線の狩野派・ふわっとした背景が特徴の四条派、すべての画風を取り入れた作品を作り、非難を浴びたこともあります。

 


*西洋のリアリティ表現を取り入れた*
竹内栖鳳は西洋のリアリティ表現を日本画に取り入れた人物として知られています。
栖鳳の絵はこれまでの日本画とは表現が全く違い、ドキッとするほど細密で描写的なリアリティ表現です。

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(写真)これまでのライオン図 (唐獅子図屏風 伝永徳筆隻)

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(写真)竹内栖鳳のライオン図 大獅子図 1902年頃


このように、近代化を進めるためにヨーロッパの様々な制度や文化を取り入れようとした思潮のことを欧化主義(おうかしゅぎ)といいます。
1880年代の日本政府は、欧米諸国に「日本が近代化した」という事を認めてもらうために、欧化政策という、文化・制度・風俗・習慣をヨーロッパ風にする政策を採りました。

 

 

いかがだったでしょうか

内容の認識違い等ありましたら、ぜひコメント等で教えてください

 

それでは、また明日

 

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投稿 2020.03.30

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