つれづれ美術手帖

アート関連のアウトプットブログです。

ハンコ文化について

こんばんは。

最近、「脱ハンコ」という言葉をよく耳にするようになりました。
脱ハンコについては、これまでも言われてきていましたが、
新型コロナウイルスの感染拡大に伴って
押印の文化がよりネガティブに報道されるようになったと思います。

特に最近では、経団連会長を務める中西宏明が
「ハンコはまったくナンセンスで、美術品として残せばいい」
と述べたことが話題となりました。

今回は日本独自に発達してきた「ハンコ文化」について、改めて調べてみました。


*基本情報*
意  味  個人や団体のしるし
発  祥  紀元前7000-6000年頃
      中東 古代メソポタミア文明
日本の発祥 弥生時代頃 中国から伝播
日本の発展 江戸時代


ハンコは、正式には「印章」というらしく、個人や団体のしるしとして使われてきました。

印章の語源は中国秦・漢時代。
秦の始皇帝が、皇帝が持つものを「璽(じ)」臣下の持つものは「印」と呼ぶようになり、
さらに漢時代に将軍が持つものを「章」と呼ぶようになったことから、総称として「印章」という単語が生まれました。

印章文化として世界最古のものは
紀元前7000~6000年頃、中東の古代メソポタミア文明でした。
最初は「封泥」という、文書などをひもで封じた上に泥を塗り、捺印するものから始まりました。
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(写真)封泥 東京国立博物館 https://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl&colid=TJ3061
泥から朱肉へと変わったのは、中国秦・漢の時代。紙の普及に伴って変わった背景があるようです。

印章の発展・衰退は、世界的には識字率と関係していることが多いようで、
・サインを自筆することが難しいから印章を使う
・自筆できるようになるからハンコ文化が廃れていく
といったところから印章の発展・衰退をある程度見ることができそうです。

中国では「書道」文化で発展

現在印章として最も古いものは戦国時代初期(紀元前5世紀ごろ)、シルクロードを通ってインドから伝わってきたとされています。
秦・漢の時代では、印章は権力を示す象徴となりましたが、
隋・唐の時代になると、書道の発展とともに署名が用いられるようになりました。
中国の印章は、身近な日用品としてはほとんど定着せず、
印章は「芸術」として、印章自体を芸術作品とする「篆刻」となり、独自の発展をすることとなりました。


日本では、「武家社会」で発展

日本で印章が使われるようになったのは701年
大宝律令の制定で公文書に押す「官印」が導入されたことから始まったとされています。

その後、一旦は印章を押す文化が廃れ、平安時代後期から鎌倉時代にかけては花押(かおう)という、簡略化した自書に代わりました。
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(写真)花押 豊臣秀吉
室町時代になると、宋から来た禅宗の僧侶たちを通して、書画に用いる用途で再び印章を使う習慣が復活することとなり、武家社会へと発展していきました。

花押は手間がかかるものだったそうで、その手間を簡略化するために「略式の署名」として印章が使われるようになりました。
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(写真)「天下布武」朱印 織田信長

江戸時代になると、押印の文化が民間にも浸透していき、私文書にも印を押す慣習が広がっていきました。
この頃に実印登録の制度が作られはじめたと言われています。
江戸時代の日本における印章は命の次に大事なものに例えられるなど、庶民の財産を保証するものとして非常に重く扱われるようになり、日本独自の印章文化が確立しました。

明治には、欧米のように署名制度を導入しようと試みましたが、反対意見が相次いだため、結局押印の文化は廃れず、残っていきました。




いかがだったでしょうか
日本だけは「自書→ハンコ」という世界と逆の流れをしていたところが興味深いですね。
これからの時代、日本のはんこ文化は、どう変わっていくのでしょうか。

内容の認識違い等ありましたら、ぜひコメント等で教えてください


それでは、また来週

* * * * *
投稿 2020.10.16
更新 
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