つれづれ美術手帖

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与謝蕪村

こんばんは、今日は与謝野蕪村について、お話しします。



*概要*
生没年 1716-1783年
時 代 江戸中期
居住地 江戸→京都
分 類 漢画
特 徴 季節感の把握に優れている
気迫に富んだ水墨画
代表作 夜色楼台図
題 材 山水図・神仙図など
受影響 狩野派・明清画
その他 詩画一致を訴えた人物
俳人文人でもある
池大雅とならび日本文人画の大成者と言われる



与謝野蕪村は現在の大阪市に生まれ。
20歳頃に江戸へ出ると、俳人である早野巴人に師事し,俳諧としての人生を歩んでいました。
巴人没後、35歳を過ぎてからようやく京都に居を定めた際,画業に強く関心を持つようになり,晩年まで修行にいそしみました。
このことは,代表作の多くが晩年に描かれたことからもわかります。

有名な作品として,池大雅との合作の「十便十宜図」があがりますが,そちらは池大雅の話の際触れましたので割愛します。もしよかったらそちらもご覧ください。
池大雅 https://funart.hatenablog.com/entry/2020/05/28/180551



*詩画一致
詩画一致とは,画、書、詩を一体とみなすことを言います。
与謝野蕪村は,この詩画一致を晩年主張し続けたと言われています。

「詩」と「絵画」とは切り離せない密接なもので、本来は同じものから発生している,という中国の考え方です。
以前,「画賛」という記事で話しましたが,掛け軸には絵に字を添える文化があります。
画賛は,もともと「字」がメインで,絵は挿絵のような気持ちで描かれていたのですが,与謝野蕪村の時代ではだんだんと絵の方が重要視され,詩をイメージした絵が描かれるようになっていきました。
その背景には,どうやら禅僧が忙しくなったとか,そういう話もありますが,とにかく,絵がら「賛」(詩)が無くなったのです。



(写真)夜色楼台図 与謝野蕪村 1778-1783年頃 27.9×130.0cm 個人蔵 国宝
横長で巻物を途中で裁断したかのようなサイズの絵画です。
右側に文字がありますが,背景は絵を合わせてか,灰色です。
にじみを使った夜の表現が目につきます。


(写真)野馬図屏風 与謝野蕪村 江戸時代 京都国立博物館
こちらは高価な絖(ぬめ)という,生糸を使って美しく織った絹織物を使って描いたものです。
蕪村のために、弟子たちが絖を作るための組織を作ったという逸話があります。
中国清代の画家の沈南蘋(しんなんびん)の影響が見られる作品です。

(写真)雪梅群兎図 沈南蘋 1716年 橋本コレクション


いかがだったでしょうか
内容の認識違い等ありましたら、ぜひコメント等で教えてください

それでは、また明日

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投稿 2020.06.05
更新 
参考 


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