つれづれ美術手帖

アート関連のアウトプットブログです。

土偶

こんばんは。
今日は土偶について、お話しします。


*概要*
意 味  縄文時代頃に作られた土人形
時 代  縄文時代
地 域  日本列島
分 類  彫刻
特 徴  乳房などを誇張した女性像が多い
代表作  亀ヶ岡遺跡出土土偶
その他  北海道~九州各地で出土している


国宝土偶シリーズ

まず最初に、前中後期にわけて、重要文化財や国宝の土偶たちを見ていきたいと思います。

*前期
現在で最も古いとされる土偶は、今から13000年ほど前、紀元前11000年前に出土されました。
初期の土偶は小型で板状、顔や手足などは簡易な表現です。
細部の表現は乏しいのに、乳房はしっかり表現されています。
やはり女性の特徴部を表すことに何か重要な意図があったのでしょうか?
ちなみに、最古と考えられている土偶は現在三重で2個、滋賀で1個見つかっています。土偶の発祥はそのあたりからなのでしょうか?

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(写真)粥見井尻土偶 三重県 縄文時代前期(草創期)後半 紀元前11000年ほど前
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(写真)相谷土偶 三重県 縄文時代前期(草創期)後半 紀元前11000年ほど前


*中期
土偶が立体的になったのは縄文時代中期ごろから。
そのころには表情や表現方法も非常に多様となっていきました。
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(写真)棚畑遺跡出土「縄文のビーナス」 長野県茅野市 縄文時代中期 紀元前3000年頃~紀元前2000年頃 茅野市尖石縄文考古館 重要文化財

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(写真)西ノ前遺跡出土「縄文の女神」 山形県 縄文時代中期 紀元前2000年頃 山形県立博物館 国宝



*後期~晩期
縄文時代後期にもなると、さらに幅広い表現で土偶が作られました。
土でできたものに変わりありませんが、黒光するほど磨かれたり、色がついていたりと、この頃の土偶たちは多様性と洗練性を極めています。
土偶と聞いてよく思い浮かぶのは後期のものが多いかもしれませんね。
ハート形土偶やミミズク型土偶といわれる土偶もこの頃の作品です。

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(写真)土偶 郷原遺跡出土(ハート形土偶
群馬県 縄文時代後期 紀元前2000年頃~紀元前1000年頃 東京国立博物館
なんだか岡本太郎のような作品です。

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(写真)土偶 真福寺貝塚出土(みみずく形土偶) 埼玉県 縄文時代後期後半から晩期前半 約2000年前~約1000年前 東京国立博物館 重要文化財

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(写真)輪西遺跡出土 北海道室蘭市 縄文時代晩期 紀元前1000年~400年頃 東京国立博物館 重要文化財

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(写真)亀ヶ岡遺跡出土 青森県 縄文時代晩期 紀元前1000年~400年前頃 東京国立博物館 重要文化財
縄文土器の最高傑作と言われている土偶です。


弥生時代
弥生時代では、一部東北地方などでは初期頃に作られていたようですが、ほとんどその文化が衰退し、土偶は作られなくなっていきました。



土偶の用途

土偶の用途は、様々な説がありますが、現在もまだ謎に包まれています。
今回はその、様々な説をご紹介したいと思います。

*豊作の祈り説*
世界的には、乳房などを誇張した人形型の土製品は、農作物の豊饒を祈るものと解釈されることが多いようです。
しかし、縄文時代のような狩猟・採集を主とした時代で「農作物の豊穣を祈る」というのは不思議ですよね。
世界史的にも、狩猟・採集段階の時代のものとしての類例はあまりないそう。日本の土偶は世界的に見ても特殊な例なのかもしれません。

*厄災祓い説*
現在出土している多くの土偶は、何らかの形で破損しており、中でも片足を故意に壊した物が多くあります。
そのため、祭祀などの際に破壊し、災厄などを祓うことを目的に作成されたという説があります。

*安産祈願説*
先ほども言ったように、多くのの土偶は人体を、特に女性の特徴をデフォルメして表しています。
そこから、安産・多産などを祈る意味合いがあったものと推定する説もあるそうです。

*その他
・生命の再生
・神像(女神像を含む)
・精霊の像
・呪物
・お守り(護符)
・子供の玩具



いかがだったでしょうか

様々な説がありましたが、どちらにせよ、土偶を通じて何かを祈っていた、ということが何となくあるようですね。
縄文時代の人々は何を想い、土偶に何を祈って生きてきたのでしょうか?
考えてみると面白いですね。

内容の認識違い等ありましたら、ぜひコメント等で教えてください

それでは、また来週

* * * * *
投稿 2020.07.17
更新 
参考 



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