廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)
こんばんは、今日は廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)についてお話します。
*廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)とは*
仏教を排除し、仏教関連の物を破壊すること
言葉の意味としては
「廃仏」仏を破壊する(廃)
「毀釈」釈迦の教えをけなす(毀)
という意味です。
廃仏毀釈は、色々な時代・場所で起こっていますが、以下では、明治時代(江戸時代後期)の日本で起こった廃仏毀釈についてお話します。
*明治時代 廃仏毀釈*
時 代 明治時代
年 代 1868年
期 間 2.3年
原 因 神仏分離令
影 響 多くの国家遺産が失われた
明治初期、政府によって出された神仏分離令(神道と仏教とをはっきり区別させること)によって、仏教関連のもの(仏像や経巻、仏具)が焼却・除去された、という全国的な流れのことを、廃仏毀釈と言います。
政府としては、あくまでも仏教と神道を分離させることが目的だったようですが、
日本は長年仏教を中心とした国だったため、仏教でないため長年虐げられてきた神職者や民衆がその法令に強く反応して排除する流れになったようです。
2・3年の間でその流れは終息しましたが、この廃仏毀釈の影響で、多くの国家の遺産が失われることになりました。
(写真)園林寺跡 鹿児島県日置市
そんな世の中の風潮の中、日本の美術品の価値を見出し、警鐘を鳴らし保護をしたのが、海外から来たお雇い外国人の人々でした。
彼らの美術品のほとんどは、現在ボストン美術館に収蔵されています。
私も、いつか行ってみたい美術館です。
明日は、そのお雇い外国人についてお話したいと思います。
今日もご覧頂きありがとうございました。
内容の認識違い等ありましたら、ぜひコメント等で教えてください
それでは、また明日
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投稿 2020.04.06
更新
参考