つれづれ美術手帖

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狩野正信 狩野派の創始者

こんばんは、今日は狩野正信について、お話しします。

 

*概要*
生没年 1434 -1530年
時 代 室町時代
居住地 京都
分 類 狩野派
特 徴 漢画(水墨画)が多い・中国の有名絵師の筆様で描く
代表作 周茂叔愛蓮図
その他 狩野派創始者
室町幕府の御用絵師・雪舟と同時代の画家

 

正信は北伊豆地方(静岡)の出身であるとされ、室町幕府第6代将軍の足利義教が富士山の見物に来た時、富士図の注文を受け制作したことから、義教に仕えたとされています。
有名な雪舟と同時代(雪舟の方が14歳年上)の絵師ですが、正信のほうが幕府の御用絵師という当時の日本の絵画界トップの座についていたので、当時は正信のほうが有名だったのかもしれません。ただ雪舟は中国に渡って最先端の漢画を学んでいますから、どちらも後の世に大きな影響を与えた人物であることは間違えありません。

 

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(写真)周茂叔愛蓮図(しゅうもしゅく あいれんず) 狩野正信 15世紀後半 84.5×33cm 九州国立博物館蔵 国宝
周茂叔というのは人物の名前で、中国北宋時代の儒学者です。
愛蓮とは、その名の通り蓮を愛するということ。周茂叔が蓮をこよなく愛していたことを表しています。
当時の知識人は、このように中国で昔あった事柄を絵画として制作して鑑賞していたとか。
こちらの水墨画は、描かれているモチーフが簡潔に美しく配置されており、後の世の狩野派の制作にも大きな影響を与えた作品でした。

 

 

 

*中国有名絵師の筆様で描く*

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(写真)山水人物図 狩野正信 15世紀 69×38.8cm(2幅) 九州国立博物館蔵 重要文化財
この作品は馬遠の筆様と言われています
筆様とは、特定の中国人絵師の作風のように似せて描くこと
この作品は、中国南宋の絵師、馬遠(ばえん)のように描いたものです。
狩野派は職業画家として、一定の水準以上の作品を制作できるような体制づくりを行った人たちですが、この筆様のシステムもその一つ。
「有名な〇〇さん風の山水画」と注文を受ければ、注文主がどのような画風を求めているのか想像がつきますよね。
この後狩野派は真行草という、別の注文の仕方に変えていきますが、これはその先駆けとなる考え方でした。

 

 

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それでは、また明日

 

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投稿 2020.04.27

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