つれづれ美術手帖

アート関連のアウトプットブログです。

名和晃平

名和晃平(なわこうへい)*
生 年  1975年
時 代  現代
出身地  大阪
居住地  京都
分 類  彫刻家
代表作  PIXCELL
その他  「Cell」という概念
     感覚とテクノロジーを主題とした作品を制作


名和晃平は、大阪出身京都在住の日本の彫刻家です。
京都市立芸術大学卒業後、英国王立芸術大学院へ交換留学で学び、京都市立芸術大学の大学院博士(後期)課程を修了しました。
現在は京都芸術大学教授として教鞭に立っています。

名和晃平の作品は、生命・宇宙・感覚・テクノロジーといったようなキーワードを感じる作品が多くあります。
また、壮大なテーマで作られている作品であるにも関わらず、わたしたちが生活の中で感じている感覚や認識を再認識させ、問いかけるような作品が多くあることも特徴的ではないでしょうか。

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THRONE
フランスのルーヴル美術館に2018年特別展示された作品
古来から続く権力や権威とは何か、どうなっていくのかを問いかけています。
山車や神輿などを参考にしながら、空位玉座をつくった作品です。


「Cell」という概念

名和晃平は、「Cell」という概念をもとに、感覚とテクノロジーを主題とした作品を制作しています。
Cellとは、英語で「小さな部屋」という意味。
「細胞」や「表計算ソフトのます目の一つ」という意味もあり、ものの最小単位を表現する場合にも使われます。

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(写真)PIXCELL 名和晃平 2002年 
PIXCELLシリーズは、オブジェクト(物体)の表面を透明の球体で覆った作品です。
透明の球体は本人曰く「セル」であり、PCの画面で表示されるピクセルを表現しているそうです。
球体はレンズ効果により拡大・湾曲して物体を見せており、様々なオブジェクトの表情を楽しむことができます。
実際、PCの画面に表示されるとき、物体はピクセル(小さい単位)に分割され、拡大したり省略されたりして1つ1つのセルに現れます。そのようなPC上での物体表現の特徴を、この作品で表しているのでしょうか。
オブジェクトは鹿が有名で、多くありますが、ほかに銃や楽器なども使用されています。


*****
投稿 2021.04.16
更新 
参考 

名和晃平オフィシャルサイト http://kohei-nawa.net/
「WORKS」から、名和晃平の作品を解説付き&高画質で見ることができます。

狩野探幽

狩野探幽(たんゆう)*
生没年  1602-1674年
時 代  江戸時代初期
出 身  山城国(京都府南部)
居住地  京都→江戸
分 類  狩野派
代表作  二条城障壁画
特 徴  木を幹から描き始める
画 題  山水、人物、花鳥など
 父   狩野孝信
その他  早熟の天才絵師


*早熟の天才絵師*
探幽は幼いころから画才を発揮し、1617年、探幽16歳の時に江戸幕府の御用絵師となり、画壇の頂点に立って多くの障壁画を手がけました。
なかでも二条城障壁画は探幽の代表作とも言われています。
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(写真)二条城二の丸御殿 大広間 狩野探幽 1626年 重要文化財
二条城は、京都での徳川家の権威を表す建築物として、徳川家康が1603年に建て、家光が1626年に増築し現在の様相となりました。
大広間は最も格式高い部屋で、大政奉還が行われた場所でもあります。当然、当時のトップである探幽が担当しました。
松は長寿と繁栄を表すモチーフで、徳川の絶対的でゆるがない権威を表現した作品。
上座に座る将軍がより遠くに感じるよう、上座に向かって枝を伸ばす遠近法がとられています。
狩野永徳の豪華絢爛な画風を受け継ぎ、豪華で壮大に松の木が描かれています。
地面や根を描かず幹から描き始める手法は探幽以降の絵師の特徴です。


探幽は1626年に江戸に本拠を移し、江戸幕府の御用絵師として、画壇における狩野派の地位をますます不動のものとしました。
豪華絢爛な画風で描いていますが、この後、水墨の濃淡でやわらかい表現もするようになりました。

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(写真)大徳寺方丈 狩野探幽 1641年
84面もある襖絵。
水墨を主体として濃淡で遠近感を表現しています。
余白をたっぷりと使い、穏やかで空間の広がりを感じます。

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(写真)大徳寺法堂雲竜図「鳴き竜」 狩野探幽 
大徳寺法堂の天井に描かれている作品。
鋭い目つきでこちらを見ている姿にはすごみがあります。
手をたたくと敷き瓦が共鳴して音が反響し、龍が鳴いたように聞こえることから「鳴き竜」と言われているそう。



*模写好き*
探幽は写生(スケッチ)や古画の模写を重視し、写生図集や模写画集を多数残しています。
探幽の古画模写は多数現存しており、そのなかには現在失われた作品もあるため、日本絵画史研究上、貴重な資料となっています。
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(写真)探幽縮図 狩野探幽 1662年 奈良国立博物館


* * * * *

投稿 2021.03.04
更新 
参考 

狩野派と制作体制
https://funart.hatenablog.com/entry/2020/03/17/170048

探幽縮図 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/215953/8

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南薫造

*南薫造*
生没年  1883-1950年
時 代  明治-昭和
出 身  広島
居住地  東京・広島
分 類  油彩画 官展(文展・帝展・日展)
代表作  うしろむき など
特 徴  みずみずしい水彩表現
題 材  風景画・人物画
受影響  岡田三郎助
その他  近代日本洋画壇に大きな影響を与えた
     「日本の印象派」と呼ばれた


南薫造は「日本の印象派」と呼ばれた油彩・水彩画家。
東京美術学校で油彩画家を学び、卒業後はイギリスへ留学。
帰国後は「白馬会」でデビューし,その後すぐに文展デビューを果たします。
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(写真)坐せる女 1908年 広島県立美術館
帰国後すぐの1910年、第4回文展で三等を受賞した作品。

日常を飾ることなくありのままにとらえた南の絵画は,優雅で温かく,穏やかな印象を受けます。
卓越した油彩画技術と色彩感覚・画面構成力を持った南の絵画は早くから高い評価を受け,官展の中心的な画家として長く活躍し,日本の近代洋画の発展に大きく貢献しました。


みずみずしい水彩表現

南薫造は、日常の風景や人物をみずみずしい水彩表現で描いたことで高く評価されました。
南は24歳の時、当時主流だったフランスではなく、イギリスに留学しました。
イギリスはターナーをはじめとした,優れた水彩画家を数多く輩出してきた国でもあります。
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(写真)戦艦テメレール号 ターナー 1839年
繊細な光や色の変化を巧みにとらえているところが類似していますね
留学中,イギリスを拠点として各地を巡り,透明感あふれる水彩画技術を学びました。
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(写真)うしろむき 南薫造 1909年 広島県立美術館


日本の印象派

南は、「日本の印象派」と呼ばれたほど油彩画でも知られている人物です。
イギリス留学した時期の油彩画は、丁寧な点描により柔らかな空気を表現しており,まさに印象派の表現です。
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(写真)六月の日 南薫造 1912年
第6回文展に出品した代表作。
点描で爽やかな初夏の農村を巧みに描いています。

南は光の描写を得意とする外光派の中心画壇「白馬会」でデビューしました。
こまかな点描で繊細に色の変化を捉えていく技法は,印象派のなかでもシニャックやスーラのような新印象派に近いものを感じます。
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(写真)グランドジャット島の日曜日の午後 ジョルジュ・スーラ 1884-1886年
印象派はジョルジュ・スーラが確立した芸術様式。
直感的な印象派の絵画をより科学的に分析し,点描画法で描いた画派。



* * * * *
投稿 2021.02.19
更新 
参考 
美術手帖 「日本の印象派」と呼ばれた画家。南薫造の回顧展が東京ステーションギャラリーで開催へ
https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/23345
ひろしま美術館 所蔵作品作家一覧 南薫造
https://www.hiroshima-museum.jp/collection/jp/minami_k.html
サロン展「渋谷区立松濤美術館所蔵 南 薫造 日々の美しきもの」
https://shoto-museum.jp/exhibitions/2021salon/

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ベラスケスとピカソ ラス・メニーナスの比較鑑賞

ベラスケスの描いたラスメニーナスは、多くの画家が模倣してきましたが、
中でもこだわって何度もラス・メニーナスを描いたピカソラス・メニーナスについて、
原作を比較しながら双方の作品を鑑賞していきたいと思います。


ラス・メニーナスとは*

作 者  ディエゴ・ベラスケス(1599-1660)
年 代  1656年
分 類  バロック
特 徴  光の明度によって遠近感を表現
     様々な解釈ができる
その他  世界三大絵画

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(写真)ラス・メニーナス(女官たち) ディエゴ・ベラスケス 1656年 プラド美術館
ラスメニーナスはスペインを代表する画家・ベラスケスが描いた晩年の作品で,世界三大絵画の一つに数えられる有名な作品です。

タイトルの「ラス・メニーナス」とは、「宮廷の侍女たち」という意味。
舞台はベラスケスのアトリエで,中央にいるのはマルガリータ王女。
描かれた当時は5歳だったそう。
そしてその左右に世話をしている二人の侍女が描かれています。
ひとりはあやすように跪き、もう一人は、宮廷式のお辞儀をしています。

マルガリータ王女の左上には鏡に映った男女がおり,こちらは国王夫妻と言われています。
よく見るとここに描かれた人々はみんな同じ方向を見ており,どうやら,国王夫妻を見ているのではないかと言われています。

*様々な解釈*

ラス・メニーナスには,その特殊な構図やモチーフなどから,場面や目的について,様々な解釈ができる宮廷絵画としても知られています。

・画家が王女の肖像を描いている最中に突然がアトリエに現れた
・国王夫妻の肖像を描いているところへお供の者を引き連れて王女が現れた
・鏡に映るフェリペ4世夫妻を描いている最中の絵画
スペイン王国を正式に継ぐのはマルガリータ王女であるとアピールするための絵
など

また、画面左下にいる2人は道化師と言われる、体が不自由な人です。
この時代では、このような「普通と違う」特徴を持った人が滑稽な格好や言動などをして宮廷の人々を楽しませていました。
道化師は身分も低く蔑まれていたため、普通の宮廷絵画には出てこない人物です。
あえて道化師を描いたことには何か理由があるのでしょうか?


ピカソラス・メニーナス

年 代  1957年
分 類  後期印象派
特 徴  色彩の明暗だけで光度を表現
その他  58枚も描いたピカソ初の連作
     75歳を過ぎたピカソが描いた

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(写真)ラス・メニーナス パブロ・ピカソ 1957年 194×260cm ピカソ美術館

ベラスケスの描いたラス・メニーナスを、ピカソなりに解釈し、リズム・色・動き・人物の特徴・光の当たり方などを変えながら描いた作品。

ピカソはベラスケスのラス・メニーナスに感動し、約5か月もの間、プラド美術館に通い詰めて徹底的に分析、研究しました。

ここからは、その作品たちを見ていき、最後にピカソの残した言葉をご紹介します。
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ピカソの残した言葉*

「ベラスケスの作品を忘れて,人物の位置,光の表現方法を変えながら独自の画風で描く。そうすることで,自分自身の作品になる。」
ジェーム・サルバテに対して話した内容



* * * * *
投稿 2021.02.12
更新 
参考 

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土佐広周

*土佐広周(とさひろちか)*
生 誕  不詳(1429-1487年)
時 代  室町時代中期
居住地  兵庫
分 類  土佐派
代表作  四季花鳥図屏風
特 徴  緻密で繊細な表現
題 材  花鳥画・絵巻物・仏画・似絵(肖像画)
受影響  土佐行広


土佐 広周は、室町時代中期に活躍した土佐派の画家です。
父は土佐の姓を初めて名乗ったとされる土佐行広。
幼年期のころから、父に伝統的な大和絵を学びました。
経歴についてはほとんど不明ですが、
1438年ころには室町幕府や皇室に献上する絵画を数多く制作したことで、丹波(現在の兵庫県)に自身の私有地を与えられたと言われています。
ここから先は、有名な二つの作品についてご紹介します。

*四季花鳥図屏風*

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(写真)四季花鳥図屏風 土佐広周 15世紀 150×361cm サントリー美術館 重要文化財
花木や草花を季節に合わせて描いた作品。
横並びの空間構成が印象的ですが、
右隻は春から夏にかけて、左隻は秋から冬にかけての花木や蝶が飛び交っています。
花木は椿、梨、薔薇、梅、牡丹、菊、ハナカイドウ、トロロアオイ、など。
花木の間に小鳥が描かれ、季節ごとの繋がりや動きを持たせています。
外来から来た花や鳥も多く描かれています。
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近くで見ると緻密で繊細な筆致が分かります。


天稚彦草子*

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(写真)天稚彦草子 土佐広周 15世紀 ベルリン東洋美術館
七夕伝説を題材とした御伽草子
伝統的な大和絵を受け継いだ、緻密な画風で、人物も可憐に描かれています。

天に住む海龍王天稚彦は、地上で長者の娘と結ばれるが、天雅彦は本性を明かし天へ帰ってしまう。
娘が追いかけて天に向かうと、天雅彦の父(鬼)が難題をもちかけ二人を引き裂こうとする。

鬼が出した難題は、「千石の米を一粒残さず別の倉に運ぶ」というもの。
二人はこれをなんとか解決し、年に一度7月7日だけ会うことを許されるようになりました。




* * * * *

投稿 2021.01.31

更新 

参考 

サントリー美術館 コレクションデータベース 天稚彦物語絵巻
https://www.suntory.co.jp/sma/collection/data/detail?id=612

土佐派とは
https://funart.hatenablog.com/entry/2020/04/21/172014

土佐三筆
https://funart.hatenablog.com/entry/2020/12/11/192212

月岡芳年

月岡芳年(つきおかよしとし)*
生 誕  1839-1892年
時 代  幕末-明治
居住地  江戸
分 類  浮世絵
代表作  英名二十八衆句 など
特 徴  生々しい血の表現
題 材  歴史絵・美人画・風俗画・古典画・役者絵
師 事  歌川国芳
受影響  河鍋暁斎、落合芳幾
与影響  弟子は200人以上
その他  「血まみれ芳年」「最後の浮世絵師」などと呼ばれる


月岡芳年は、幕末から明治にかけての「激動の時代」に活動した、殺戮の場面や死骸などを描いた無惨絵(血みどろ絵)が有名な浮世絵師です。
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(写真)月百姿 深見十左衛門 月岡芳年 1885-1892年
月にまつわる歴史や物語を描いた作品群。
こちらの作品、正面摺という、作品に直接バレンを当ててこする技法を使っており、角度を変えてみると、光沢のある市松模様が浮かび上がります。
シンプルな構図ながら着物を魅せる、粋な表現ですね。


*血まみれ芳年

衝撃的な無惨絵の描き手としても知られ、「血まみれ芳年」というあだ名で呼ばれることもあります。
特筆すべきはその血の表現。滴り落ちる様子や、地面に染み入る様子、勢いよく飛び散る様子などを、芳年は特にこだわりぬいて表現しました。
絵具も、ただ赤で描くだけでなく、必要以上の膠を入れることで表面をテカらせることで、血のベトベトした様子を表現しました。
三島由紀夫江戸川乱歩など、昭和で活躍した文学者に愛されました。
写実的でないのに妙に生々しい
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(写真)英名二十八衆句 稲田九蔵新助 月岡芳年・落合芳幾 1868年
無残絵の代表作。一連の血なまぐさい作品のなかでも、特に衝撃的な作品でした。
兄弟子の落合芳幾とともに歌舞伎の残酷なシーンを集めたシリーズで、芳年は28枚あるうちの14枚を描きました。
師・国芳の死後5年経った頃に描いた作品。偉大な師の影響から抜け出し、自己流の表現へと移行した作品群とも言われています。


*戦争と芳年

激動の時代、日常的に行われる幕府間の激しい対立を直接目にしながら作品制作をしていました。
特に、上野戦争では、弟子とともに直接戦地へ赴き取材をしたほどだったそう。
芳年自身にとって、身近な死と戦争は強く生と死を思わせる出来事だったのかもしれません。
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(写真)魁題百撰相 駒木根八兵衛 月岡芳年 1868年 
戊辰戦争の一部・彰義隊と官軍の実際の戦い(上野戦争)を題材とした作品。
この作品群から、芳年戦争画は当時のスクープ写真の用途で需要が高まり、戦争を題材とした作品を数点描くこととなりました。

いかがだったでしょうか
内容の認識違い等ありましたら、ぜひコメント等で教えてください


それでは、また来週

* * * * *
投稿 2020.01.22
更新 
参考 

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伊藤若冲 樹下鳥獣図屏風

*樹下鳥獣図屏風*
作 者  伊藤若冲
時 代  江戸時代中期
年 代  18世紀
居住地  江戸
分 類  奇想の絵師
特 徴  他に例のない技法、鮮やかな色彩
技 法  枡目描き
題 材  動物・鳥
その他  137.5×355.6cm

樹下鳥獣図屏風は、江戸時代中期の画家・伊藤若冲が描いたとされる作品です。
「枡目描き」と呼ばれる技法で描かれた本作品は、まさに「奇想の絵師」のあだ名に相応しい、若冲の独創性が発揮された作品とも言えます。
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*題材は様々な世界の動物*

樹下鳥獣図屏風は、1双(2つの屏風が1つの対)の作品として知られていますが、元々は別の作品として伝わってきたものです。

様々な種類の動物が、右隻は「獣」ばかり、左隻は「鳥」ばかり集めて描かれています。

右隻のモチーフ
・身近な実在の動物
 犬・猫・兎・猿・馬・熊・牛・猪・ムササビ・鼠 など
・外国の実在動物
 獅子・トラ・ヒョウ・白象・麒麟・ラッコ など

左隻のモチーフ
・身近な実在の動物
 鶏・孔雀・七面鳥オシドリ・雁・ガチョウ・白鷺・セキレイ・ウズラ・オウム・インコ など
・空想の動物
 鳳凰 など

その動物は、当時身近なものから、外国のもの。また空想上の生き物まで、様々な動物が描かれています。

また、それぞれの屏風の主役が白象・鳳凰であることから、おめでたい屏風であるとも言われています。



*枡目描き*

マス目描きは、若冲が発明したと考えられる独自の描法です。
具体的には、モザイク画のような手法で、画面を約1cm四方のマス目で区切り、その一マスごとに色を塗り分けていく技法です。
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若冲は、そのマス目の中に、同色の淡色・濃色2~3色を重ねることで、立体感や陰影を表現しました。
ちなみに、マス目の数は1双全体、合計で11万個以上あるそうです。

同じ技法が使われた作品で、現存するものは2点のみ。それも、どちらも若冲が描いたとされるもので、樹下鳥獣図屏風との関連が指摘されています。
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(写真)鳥獣花木図屏風 エツコ・ジョウ プライス コレクション/カリフォルニア
こちらの作品はぱっと見わからないほどに樹下鳥獣図屏風と類似した作品。

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(写真)白象群獣図 個人蔵


*発想源*

発想源は西陣織の下絵である正絵(しょうえ)や、朝鮮の紙織画(ししょくが)なのではないかという説があります。
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(写真)正絵帖 正絵帖とは、西陣織のした絵で、実際の織物の模様と同じ大きさ・色で描いた下絵のこと。
若冲はこの西陣織の制作工程での制約に注目して発想を得たのではと言われています。

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(写真)紙織画 細長く切った色紙を、篭を編むように織って描く技法。単色の方眼が集まることで、立体感や陰影を感じさせる効果を狙ったものです。
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いかがだったでしょうか
内容の認識違い等ありましたら、ぜひコメント等で教えてください

* * * * *
投稿 2020.01.16
更新 
参考 
静岡県立美術館 若冲《樹下鳥獣図屏風》
http://spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/collection/jakuchu/

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